(C)RIZIN FF
「僕、キックボクシングで一戦していました。激レアかな。1戦もしていないと思い込んでいたので。どういう結果になったかもあまり覚えていない」──朝倉未来が17日、アマチュア時代に行ったキックボクシングの試合を、自身のYouTubeチャンネルで初公開した。
名古屋で行われたその試合は、当日にキックボクシングルールであることを知ったという。「あっ、キックのルールなんだと思って。初めてキックの試合に臨んだ」と、腕試しの感覚で試合に出ていたことを語る。
現在のYouTubeチャンネルのスタッフで、当時から友人の岡康平が持っていたという映像を視聴する朝倉は、動画を再生するや「ケージでキックボクシングなんですね」と驚き。
当初、右利きのオーソドックス構えから、サウスポー構えで戦うようになった朝倉は、すでにこのキックの試合でも、ボクシンググローブを着用して右足前で構えている。対戦相手もサウスポーの試合。
左ロー、左ストレートで自ら入る朝倉は、序盤から左ハイをヒット。さらに利き手の前手の右フックから左ミドルに繋ぐと、そこに左を打ち返してきた相手に右から左のカウンターで相手に尻もちを着かせている。
現在の朝倉のファイトスタイルの原型を見ることが出来るキックボクシング戦。
「あれ出来上がってるやん。あっ、サウスポー、結構いまのスタイルがこのへんから確立されてるんですね」
左ローで快音を響かせる朝倉。3連打に相手のバランスが崩れていく。さらに右でインローも前足に突く。ローでも上下に打ち分ける朝倉。蹴っては離れて出入りも巧みだ。
「ローキックの威力がすごいですね。キックボクシングやったらこんな感じになるのか、俺。このへんの頃は体重とかあまり関係なく気にしてなかった」と、体重差のある試合にも臨んでいたという。
左ローを被弾し続ける相手に朝倉は、右フックで下がらせると、金網を背にした相手に踏み込んでの左ハイ一閃。ローキックで下半身に意識を散らせての対角のハイキックを、見事にテンプルに当てての失神KO勝利だった。
「この後、相手は大丈夫だったんですか」と対戦相手を気遣った朝倉。「アメリカくらいリアクションすごいやん。俺たち」と周囲の歓声にも驚きの表情を見せている。
現在、保有する会社のグループ全体の月収を「1億4000万くらいの月があった」と明かしている朝倉だが、当時のファイトマネーは「1万くらい」。
セコンドもチーム同士の対抗戦だったと振り返った朝倉は、「衝撃的な映像でした。懐かしいですね。ファイトマネーは1万くらいだったけど、なんのために地下格闘技に出ていたかというと『THE OUTSIDER』に出るためでしたね、すべては。一番、最初に応募したときに応募件数が多すぎて、喧嘩はしていたけど試合の実績もなかったから落とされてて、実績を積もうと。こういう試合、1戦勝つごとに『THE OUTSIDER』近づいてきたんじゃないかって、そういう希望を持って戦っていた」と、格闘技で名を上げ、成功するために、『THE OUTSIDER』出場を目指していた気持ちを語っている。
6月には『那須川天心vs.武尊』の越境大会が決定しており、榊原信行CEOは、RIZINファイターの出場も示唆しているが、このタイミングで朝倉が動画を公開したのには意味があるのか。競技生活の「終わりに近づいている」と公言している朝倉は、MMAでの目標も語っており、キックの試合を行うには条件があるようだ。
(C)魔裟斗チャンネル
「キックボクシングの試合でも面白いですね。自分にとってもやりたいという相手がいたらやりたいけど、魔裟斗さんみたいな人がいて、山本“KID”戦のような盛り上がりがあれば、対極の団体で、武尊vs.天心みたいな相手がいたらやりたかったけど、そうじゃない相手とやっても何のメリットもないんで」と、自身が競技を越えて戦うべき相手の不在を語っている。
「こんな過去があっていまの僕がいますから。頑張ってくれたこと、過去の自分に感謝だね」と、あらためて上を目指して挑戦していた自身の姿に刺激を受けた朝倉。
ほかにも動画では、当時バンテージ無しで、練習のように軍手で試合をしていた理由や現在のパンチ力との違い、サウスポー構えに変えたきっかけとなった試合、そして6月の『那須川天心vs.武尊』大会についても語られており、必見の内容だ。