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インタビュー

【RIZIN】山本美憂、RENAとの再戦で「KIDとの約束を守ります」──5年ごしリヴェンジの物語

2021/11/02 21:11
 2021年11月20日(土)の『Yogibo presents RIZIN.32』沖縄アリーナ大会で、RENA(SHOOTBOXING/シーザージム)と5年2カ月ぶりの再戦に臨む、山本美憂(KRAZY BEE/SPIKE22)が2日、KRAZY BEEで公開練習を行った。 長男のアーセンが持つミットに、サウスポー構えから2分1Rのボクシングのミット打ちを見せた山本は、続くリモートでの囲み取材で、「KIDとの約束を守ります。今回はほんとうにリヴェンジです」と、2016年9月25日にさいたまスーパーアリーナでセコンドについた弟・山本“KID”徳郁とのリヴェンジの約束を5年ごしに果たしたいと語った。 あの頃はレスリングだけだった 「まだ追い込みの時期なので、ハイペースでやっていて、いつも通りのいいコンディションです」と、試合18日前の状況を語った山本。リングに上がるのは2020年の大晦日以来、約1年ぶりとなるが、「その前も(試合間隔が)空いている時期が何試合かあったので、変わらず練習ができていましたから大丈夫です」と笑顔を見せた。  5年2カ月の間に、MMAで11試合を戦い、6勝5敗。2018年7月の石岡沙織戦から2019年6月の浅倉カンナ戦までは怒涛の4連勝。その後、ハム・ソヒと浜崎朱加に敗れ、アム・ザ・ロケットには判定勝ちしている。 「あの頃(デビュー戦)はレスリングだけで、あとは何もなかった状態で素人でした。もう5年ですから、だいぶ変わっていると思います。あの頃に比べたら、ほんとうに総合的にオールラウンドにMMAの選手として成長しなきゃいけない部分は、いろいろ追いつくように頑張ってきました。全体的にレベルは上がったと思います」と、自信をのぞかせる。  前戦の浜崎朱加戦では、右ヒザをテーピングで固めて試合に臨んだ。右前足にローキックを浴びて、足が流れたところを強引にシングルレッグへ。そこに浜崎にキムラクラッチを組まれ、前転したところをセンタク挟みで絞められた。 「あの時は脱臼をしていて、それを知らずに、試合前だったので(テーピングを相手に)見せたところで、試合をキャンセルはしないから、父親にテーピングを巻いてもらって出ました。試合が終わってもなんか痛いなと思ったら、脱臼してズレたままハマっていたんです。もう治りましたが、浜崎戦もそれを後で聞くと“ウェー”っとなりますけど、その時は(脱臼を)知らなかったので、全然、大丈夫です」と、怪我を敗戦の理由にすることはなく、今回は万全だとした。 [nextpage] RENAの打撃も「怖くはない」  コロナの影響もあり、山本は約1年間、RENAも1年2カ月間、実戦から離れている。 「私もRENA選手も一年くらい試合から離れていますし、この間に、2人ともいろんなことを練習して成長していると思います。RENA選手はやっぱりストライキングに長けている選手だと思いますけど、MMAとしてのオールラウンダーな選手にもなってきている」と、互いに前戦とは“別人”だという。  その上で、山本は「自分のペースで戦うこと。RENA選手も絶対にBRAVE(ジム)の宮田(和幸)くんのところでレスリング対策をしているでしょうし、一本を取りたいと言っているくらい、寝技も練習していると思うので、そのグラップリングもストライキングも“どれだけ潰していけるか”ですね。相手の動きも見て、それに対する対策は練りましたけど、一番は“自分を出すこと”が大切だと思います」と、勝負のポイントを語る。  RENAとの第1戦は、山本が先にテイクダウンを奪ったものの、立ち際にRENAの左を浴びて、足を手繰ったところをがぶられ、ニンジャチョークを極められた。  スタンドから始まるMMAに置いて、山本にとって必ず向き合わなけれなならないのは打撃だ。  コロナ禍のなか、グアムにいる夫のカイル・アグォンと「毎日、コミュニケーションを取り」、KRAZY BEEでは、10月23日の大会でDEEP JEWELSストロー級王者の伊澤星花を打撃で苦しめた強豪パク・シウや軽量級の男子選手たちと練習を積んできた。  山本は、RENAの打撃も「怖くはないです。とくにパク・シウ選手の打撃は相当なので。それに対応しています。みんなチームメイトを勝たせたいという気持ちは、どの選手も一人ひとり、試合のときにあるので、そういう気持ちが伝わってきます。だからもう容赦はないですね。(練習で)厳しければ厳しいほど、リングの上では作れると思うので」と、タフな環境のなかで、打撃も磨いてきたという。  試合発表後、インスタグラムに「約束はちゃんと守るから!!」と投稿した。「約束」は、RENAに一本負けした直後、いまは亡きKIDとかわした、ものだ。 「私はあの時は、わけが分からなくてブッ飛んでいましたけど、やっぱり姉が目の前で負けるところを見て、すごく辛かったと思います。あのとき一番悔しかったのは、弟のKIDで、リングの中で負けた瞬間、リングを下りる前に、まだリングの中にいるときに、『やり返すぞ、次は絶対に勝てるから』って言ってくれたから」と、リヴェンジを誓う。  カード発表時の会見でRENAは、山本姉弟のその決意が「怖かった」と言い、「いつか再戦をやるだろうと思っていました。山本美憂さんにも負けられないし、KIDさんにも負けられない」と、2人と戦う覚悟を語っている。 [nextpage] KIDとレスリングが繋いだMMA  山本が言う“いかに自分を出すか”は、ルーツであり、ストロングポイントである、レスリングを“MMAのなかで”いかに活かして戦うか、ということになる。  東京五輪では「やっぱりレスリングをずっと見ていました。日本の選手の常に攻撃的な、攻めの姿勢が勉強になって、自分のルーツを知らされたというか、いい刺激になりました」と言うが、その刺激は、MMAに繋がっている。 「もちろんレスリングは好きですが、レスリングの練習は、100%どっぷり漬かっていた現役の頃より、いまの方が楽しく出来ます。この技に使えるなとか、MMAに繋げることを考えているので、また新しいレスリングを使った一面が見れて、楽しいです。  いまはレスリングの攻撃をMMAで繋げるのに、何が必要なのかを考えます。普通にレスリングの動きだけだと、(関節を)取られてしまったり、不利な状態になるときもあるので、そこを上手くMMAに繋げる──私の場合だと、上になっているけど極められたりしていたのを、プレッシャーのかけかただったり、手を置く位置や身体のポジションとかを考えたり、反復練習したりすのがすごく楽しいです」と、格闘技として考え、MMAに採り入れることに喜びを感じている。  よく動きを参考にするのは、北京五輪フリースタイル55kg級金メダリストで、元UFC世界バンタム級&フライ級王者のヘンリー・セフードだという。 「レスリングベースの格闘家の人の試合は、ほんとうに勉強になります。友達でもあるヘンリー・セフード選手の試合を見て、それがそのままRENA選手との試合に当てはまるかというと別なんですけど、レスリングベースの選手が強みとする部分を研究するにはすごくいいと思っています」 “友達”として交流があるセフードとの縁も、思えば、KIDが繋いだものだ。  日本の高校レスリングに窮屈さを感じていたKIDは、山本美憂がいるアリゾナの高校に編入し、アリゾナ州の王者に3度輝いている。 「いまヘンリーのマネージャーをしているエリック・アルバラシンが、私とKIDがアリゾナにいた頃によく練習をしていて、特にKIDとエリックが仲良くて、毎日練習をしていて、私も飛び入りで入ったりして……とにかく3人で高校生の頃から知っていて、アリゾナ出身のヘンリーともいろいろ交流はありました。いまもベイビーが生まれるよとか、やりとりをしています」  小学生のころから弟のKID、妹の聖子とともに、レスリングに慣れ親しんできた。13歳で第1回全日本女子選手権に優勝。その後全日本4連覇を達成したが、世界選手権へは年齢制限により出場が認められなかった。  17歳で初めて出場した世界選手権を史上最年少で優勝。レスリング大国の米国留学を果たした美憂だが、当時の全米レスリング協会が女子レスリングを認めていなかったため、女子レスラーの数は少なかったが、全米の学校スポーツ界の規定で男子の運動部も女子の入部を拒否できなかったのため、留学先の男子レスリング部に入部していた。  オリンピックには間に合わなかった美憂は、パイオニアの一人として、女子レスリングを、そして日本の女子MMAでも新たな扉を開いたといえる。  PRIDEでは組まれることがほぼ無かった女子MMAの試合が、日本で世間の認知度を一気に高めることになったのは、レスリングから転向した山本美憂が、シュートボクシング女王のRENAと、地上波放送の試合で戦い、その後もMMAを続けたことが大きく影響している。あの試合以降、女子MMAを目指すキッズ、アスリートの数は倍増し、それ以前に奮闘していた女子MMAファイターの活躍の場も広げることになった。 [nextpage] あの時の約束は、絶対に守ります  RENAは今回の試合を「最終章へ向けて、この試合で勝つか負けるかでだいぶ人生が変わってくると思うので、ここはリベンジさせずに、私も華やかに試合をしていきたいと思います。来年へ向けて絶対に負けられない」と、もう一度女子の格闘技の起爆剤にしたいとし、引退を予定している2022年へ向けて負けられないと語っている。  選手生活を30年以上も続けている山本にとっても、現役の時間が限られていて、1日、1日が引退に近づいていると明かす。だから「今できる自分を思いっ切り、後悔はしないように、という思いは強い」という。 「明らかに20代、30代の選手に比べて、年齢的に言ったら、引退に近いのは私の方だと思うので、ほんとうに一戦一戦を全力で思いっ切り、これが最後だと思って戦っています」  その瞬間は、次かもしれないし、もっと先かもしれない。ひとつだけたしかに感じているのは、MMAで引退して「もう一度」は出来ないだろう、ということだ。 「レスリングでは、自分の気持ちが“ああ、もう満足”と思えば一線を退くんですけど、“またやりたい”と思えば戻ってくるという引退と復帰を繰り返しました。  でも、MMAは、さらに打撃が加わった危なさ、危険度を伴うので、そう簡単にフラッと戻って来れるようなものだと思っていません。MMAの場合は、自分が“これでもう十分”と思ったときには、それが最後だと思います。MMAはいろんな選手がいて、やらなきゃいけないこともたくさんあるから、それを全部“やり切る”のはたぶん、すごい時間がかかるんですよ。それまで私はやるのはとうてい無理なので、自分のなかで“ああ、もうほんとうに楽しかった。次の人生に行ける”と満足したとき、怪我した場合を除けば(引退は)そのときですね。だからそのときは思いっ切り笑顔でリングを降りていると思います」  RIZIN参戦のオファーを受けたのは、弟のそばで過ごしたいという思いもあった。カナダから帰国し、初めてオープンフィンガーグローブを着けて、リングに上がったとき、KIDはすでにがんを抱えていた。  コーチしてくれたKIDの目の前で、首を絞められタップした。そのリング上で、当初、MMA転向を反対していた弟は、『やり返すぞ、次は絶対に勝てるから』と言い、姉もリヴェンジを誓った。  MMAデビュー戦から1勝3敗。黒星が続くなか、2018年7月に判定勝ち。KIDの病状が悪化するなか、次戦をキャンセルしようとしたが、「勝ち癖をつけろ」と言われ、アンディ・ウィンとの再戦オファーを受託した。グアムから日本に帰国し、KIDが亡くなってから12日後の試合で約束通り勝利、4連勝をマークした。  まだ果たしていない約束は、リヴェンジだ。美憂は、「ともに戦う」という。 「本人はいまここにはいないですけど、やっぱり試合のときは絶対に見ているし、一緒に戦っていると思うので、あの時の約束は、絶対に守ります。そして自分らしく戦っていきたいと思います。勝ちます」。
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