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【UFC】42歳の世界ライトヘビー級新王者・グローバー・テイシェイラの偉大なる旅路「格闘技に愛と情熱がある限り──」

2021/11/01 17:11
 2021年10月30日(日本時間31日)、アラブ首長国連邦・アブダビのエティハド・アリーナにて『UFC 267』が開催された。  メインイベントは、5連勝中の王者ヤン・ブラホヴィッチ(ポーランド)が、同じく5連勝中の挑戦者グローヴァー・テイシェイラ(ブラジル)を迎え撃つUFC世界ライトヘビー級タイトルマッチ。試合は2Rにテイシェイラが左フックを効かせて、リアネイキドチョークで一本勝ち、悲願の初戴冠を果たした。  42歳でベルトを巻いたテイシェイラを、ダナ・ホワイトUFC代表は、「あれほどのクレイジー・ジャーニーをしてきた男にこんなことが起こる、これこそがこのスポーツの醍醐味じゃないか」とコメント。多くの選手たちも遅咲きファイターの戴冠を祝福した。  いったいテイシェイラは、世界王者までにどんな旅路を送ってきたのか。  ブラジルの郊外ミナスジェライス州ゴベルナドルバラダレスのソブラリアで生まれたテイシェイラ。「7歳になるまで電気も通っていなかった」町から、1999年に集団出稼ぎで渡米。コネチカット州デンバリーで造園の仕事についた。  米国へ行くまで格闘技経験はなく、1993年にホイス・グレイシーが戦った試合を、2001年になって米国で初めてビデオで目にして、テイシェイラにとって「最初のスポーツ経験」がMMAとなった。すでに22歳だった。  WECでチャック・リデルのメインスパーリング・パートナーのエリック・シュワルツに敗れたものの、対戦相手の試合を観たリデルのコーチのジョン・ハックルマンがゲストハウスで寝泊まりをさせ、MMAを本格的に習い始めた。  異国の地で毎朝5時半に起きて造園工事の現場で10時間近く働き、夕方に家に戻り、重い身体をひきずってジムに向かった。  勝利を積み重ね『The Ultimate Fighter』出場の機会を得るも、メジャーで戦うにはビザが必要だった。出稼ぎの不法滞在だったが、米国人女性と結婚し半年間、米国にいれば永住権が手に入るはずだった。しかし、9・11以降は簡単にグリーンカードが取れなくなっていたため、一度ブラジルに戻ってビザが下りるのを待つのが、一番の解決策だという結論に至った。  ブラジルに帰国し、2011年8月に修斗南米大陸ヘビー級(-100kg)王座を獲得。同年11月に元UFC世界ヘビー級王者のリコ・ロドリゲスに勝利後、ビザが発給された。米国から仕送りもしてくれていた妻の誕生日だった。結局、ブラジルでビザを取るのに3年半の時が過ぎていた。  2012年にUFCデビュー。5連勝で2014年4月にジョン・ジョーンズが持つ王座に挑戦も判定負け。その後、オクタゴンで10勝4敗、5連勝でブラホビッチが持つ王座に挑戦していた。  試合後会見でテイシェイラは、ベルトを前に「『The Ultimate Fighter』に出られる予定が、グリーンカードの問題で、8年後の2012年までUFCでデビューできなかった。そして、10年後にこのベルトを手に入れたんだ。なんとも長い旅路だと思わないか」と感慨を述べた。  また、次期挑戦者に元RIZIN同級王者のイリー・プロハースカを指名。「彼には彼のストーリーというのもあるだろう。素直に彼と戦うことを楽しみにしてる」と語っている。  グローバー・テイシェイラの20年の格闘技生活と人生はいかなるものだったのか。新チャンピオンの肉声を、ダナ・ホワイト代表のコメントとともに紹介したい。 [nextpage] テイシェイラ「ファイターの人生はある種、囚人のようなもの」 ──今の気持ちを言葉にすることができますか? 「分からないよ……すごく……すごく感じるんだ。素晴らしくて……とても幸せで。うん、これが僕の夢だったんだよ。20年前から……アップダウンのあった道のりで、このベルトを手に入れたい、チャンピオンになりたいと思っていたけど、その道のりのなかではチャンピオンになんてなれっこないやと思った時もあった。でもね、僕はこれが好きなんだ。つまり、だから、自分がやるべきことのために。自分を律して、信じ続けた。僕はそれが好きだし、信じ続けている。今はもうこの子(ベルト)を守り続けたい」 ──試合内容についてはいかがでしたか? 「とても良かったと思ってる。トレーニングが素晴らしいものだったんだけど、長いトレーニングキャンプでね。彼(ブラホビッチ)がアデサニヤと戦ったときにリザーバーだったから、若い相手と戦うことも考えたうえでプランニングをしてきていた。頭の使い方やジャブの打ち方なんかをかなり練習したよ。コーチは、『彼はジャブを多用してくるから、左フックで入るように』と。そう、それがうまくいったよね。そこに積極的に取り組んでいて、それからトレーニングパートナーが最高だった。彼らに感謝しないといけない。みんなに感謝しなきゃ。信じられないほどスピードの速い18歳のアリ・フェリーズという選手(帯同したプロボクサー)がいて、彼はすごい。だから、全てが見えていた」 ──チョークを極める前にあなたは大きな左フックを当てました。パンチでダウンを奪ったときに、効いていると? 「もちろん分かっていたよ。でも、焦ってラッシュするようなことをしないようにしようと思った。自分の時間を使いたかったんだ。効いていたから、パンチ連打ではなくテイクダウンした」 ──ダニエル・コーミエーにコメントで褒められたり、コナー・マクレガーがツイッターで称賛したり、あなたの成功を望んでいたほかのファイターたちの応援についてどう思いますか。 「すごいよ、みんな、努力して打ち込んでやってきた、鍛え上げられた男たちで、たとえばハビブのように……ファイターの人生っていうのは、ある種、囚人のような人生だと思うんだよ。自分をそんな立場に置かなければならないので、そんな自己規律のために、多くのことを避けなければいけない。誕生日パーティーだってそうだし、気が散ることのないよう、友達とも孤立した生活を送ることになってしまう。本当に自分が上達したいって思っていて、その先にチャンピオンになりたいという理想があったら、いくつかの誕生日パーティーを逃してしまうよね」 ──試合前に誕生日祝いでブラホビッチからもらったビールは召し上がりましたか? 「まだ! まだなんだ! 早く、いますぐ飲みたいんだ!あれは、どんなものであったとしても、すごい美味しく味わえるよ!」 ──オクタゴンで、ダナ・ホワイト代表とずいぶん長く話し込みましたね、ベルトをかけてもらう前に。 「ダナには、2003年だったか04年だったか正確な年は覚えていないんだけど、その時の話でね、2回目の『The Ultimate Fighter』の、あれは最初の(フォレスト)グリフィンとステファン・ボナー戦のときだったんだけど。マサチューセッツで開催されたTUFのトライアウトに参加していて、全部こなして、グラップリングマッチでは相手を極めたんだよ。で、面接でもダナに気に入ってもらえて、『へえ、チャック(リデル)と練習してるんだ』とか話してね。  それで『The Ultimate Fighter』に出られる予定になったんだけれど、たぶん2004年だったと思う。ただ、それでグリーンカードの問題が起きてしまって、8年後の2012年までUFCでデビューできなかった。そして、10年後にこのベルトを手に入れたんだ。なんとも長い旅路だと思わないか」 ──チャックとかコネチカットのダンベリーのチームメイトとは話しましたか。 「いや、まだ。いっぱいインタビュー受けてて。いやあ、チャンピオンとしての人生ってのはすごくいいね」 ──実況のジョン・アニックが、ダンベリーではあなたのためのパレードをするべきだと。 「うん、そうだね、いいかもしれない(笑)。楽しみだよ」 ──次の相手はイリー・プロハースカが有力かと思いますが、シチュエーションとしては、ブラホビッチvs.アデサニヤのバックアップファイターだったあなたと似ていますよね。実際今後の対戦相手として、彼をどう思いますか。 「すごいタフで、めちゃくちゃ厄介なんじゃないかと思う。それにすごくいい人だよね。僕は知らないけれど彼には彼のストーリーというのもある。確かに手強い相手だろうし、彼が戦ってきたのも強豪たち。でも自分は素直に彼と戦うことを楽しみにしてる。でもね、今はブラホビッチがくれたビールを気持ちよく味わって、休みを満喫することのほうが楽しみだな」 ──あなたはオクタゴンのなかで、常識を打ち破り続けたいと言ってましたよね。どれだけそうし続けられるでしょうか。 「それは分からないけれど……そうだな、いつの日かジムで、“これ以上続けたくないな”と思ったときに、ただそれは難しい決断だね。ああ、僕の妻は、僕たちがどれほどのハードワークかを理解しているし、時として身体を休めるために14時間とか眠って……人はそうだな、こう思うかもしれない。うまくいかない時はなんとなく大人しくしているのがいいんだって。でもそんなの全然良くない。ベッドにずっと横たわっているのなんて好きじゃないし。  でも時として、しっかりと休めるために無理にでも寝ようとしたりしてなんとか休まないと。この年齢になるとそれってすごく難しいんだよ。サプリメントダイエットだったり、とにかく何もかもが、でも好きでやってて、結果として、こうやって戦うこともトレーニングも気に入っているから、これからも続けていく。自分が、格闘技に愛と感動を得られなくなるまでは続けるよ。もし情熱を感じられなくなったら、そのときはもう止めるしかないよね。ベルトを眺めてインスピレーションを得よう、うん、僕はこれが好きだから守り続けなければ」 ──ブラジルのチャンプたちの中に名を連ねた気分はいかがですか。 「素晴らしいよ。チャックと一緒にトレーニングしたし、親友であるリョート・マチダ、そしてももちろん、ミノタウロ……彼は今週、時々一緒にトレーニングをしたよ。素晴らしいチャンプだ。そしてそんな彼らは、既に僕を、チャンピオンのようにリスペクトしてくれてたんだよ、それはベルトを持っているかどうかなんて関係なく、その中の一人としてね」 [nextpage] ダナ・ホワイト「クレイジー・ジャーニーをしてきた男にこんなことが起こる、これこそがこのスポーツの醍醐味じゃないか」 ──グローバーと長時間何を話していたのですか? 「ちょっと共有するのは難しいが、彼はこの階級でとにかく長い間にわたって最もタフな選手のひとりでい続けてきた。彼の永遠の夢のようなものだったタイトルショットの機会をついに今回獲得し、そして今晩彼はタイトルを手に入れるということをやり遂げた。  彼が言っていたのは『The Ultimate Fighter』出場の可能性が彼にはあったのに、ビザの問題があった(出場できず)ということ、そしてそのことで彼の人生の道筋がどれほど変わったことか。彼は国に帰らざるをえず、またUFCで活躍するはずだったのに。あのとき彼はあらゆるストーリーを経験していたから、なんというか、遅かれ早かれというのか。  あのさ、俺たちはみんな、格闘技ファンだろう? で、これはその中で得られるひとつの瞬間で、苦しい、クレイジー・ジャーニーをしてきた男にこんなことが起こる、これこそがこのスポーツの醍醐味じゃないかな。そう、つまり俺が言いたいのは、この男は、彼のキャリアのなかでどれほどの逆境にもめげず、けっして諦めなかった、そして、42歳の誕生日から数日でタイトルを獲得した。これってめちゃくちゃすごい話だよね。これ以上のことはないだろう、ただ、残念なことに、ヤン(・ブラホビッチ)も素晴らしい選手なんだよな。こういう試合っていうのは、やっぱりみんなが『誰も負けて欲しくない』って思うやつだよね」
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