下段廻し蹴りを効かされ、防戦一方となってしまった上田(左)
2021年4月25日(日)東京・極真会館総本部代官山道場にて、2019年第12回世界大会王者・上田幹雄(横浜北支部=26歳)が100人組手に挑戦したが、60人目でドクターストップがかかった。
100人組手は極真空手の荒行のひとつで、1人の空手家が100人の空手家と連続して組手(対戦)を行うもの。1965年頃から極真空手の創始者・大山倍達の発案で始まり、当初は2~3日に分けて行われていたが、大山倍達が「100人組手は1日で行うもの」と定義付け、1972年9月にその第1回目が行われた。
これまでの完遂者は9名(極真会館認定者のみ)で、最後に完遂したのは2014年4月のタリエル・ニコラシヴィリ(ロシア=2011年第10回全世界空手道選手権大会優勝者)。前回は2016年4月に2015年第11回全世界空手道選手権大会優勝者ザハリ・ダミヤノフ(ブルガリア)が挑戦したが、ドクターストップにより70人目で失敗した。なお、この時の1人目の相手が上田だった。
午前11時に開始された100人組手。1人につき2分間の組手を行う。1人目の対戦者は2018年の第50回全日本選手権で上田と決勝戦を争った相手でもある鎌田翔平(上田が再延長戦で勝利し、全日本選手権大会で初優勝)。実力者同士の対戦で引き分けからのスタートとなったが、以後は技ありと技あり2回での合わせ一本勝ちを連発する好調な出足となった。
28人目を超えたあたりから引き分けが増え、40人目が終わったところで汗でびっしょりとなった道衣を着替えるため1度目の休憩。しかし引き分けが続き、44人目で初の黒星を喫した。そこからは黒星が増えながらも、得意の上段への蹴りを炸裂させて技ありを奪う意地を見せたが、55人目からは3人連続で黒星。58人目は引き分けるも、59人目、60人目と黒星を喫し、技を返せないため一方的に打たれる展開に。
60人目を終えたところで5分間の休憩が与えられたが、控室に戻った上田は5分を過ぎても道場に姿を現さず。「本人はやると言っているが、酸欠状態で目が回り、視界が狭まっている状態」であることが松井章奎館長に伝えられる。
それからしばらくし、14時16分にドクターストップにより中止となることが松井館長の口から告げられた。14時18分に閉会太鼓が鳴らされ、上田の100人組手挑戦は幕を閉じた。