MMA
インタビュー

【UFC】“78億分の1”路上生活から人類最強の座についたガヌーが子供たちに贈った言葉「人生がフェアじゃないのは、君のせいじゃない。だから──」

2021/03/30 12:03
 2021年3月27日(日本時間28日)、米国ネバダ州ラスベガスのUFC APEXにて「UFC 260」が開催され、メインイベントのUFC世界ヘビー級タイトルマッチで、カメルーン出身のフランシス・ガヌーが、王者スティペ・ミオシッチ(米国)を2R、左フックでKO。新王者に輝いた。  再戦で悲願のベルトを腰に巻いたガヌー。母国カメルーンでは早朝5時過ぎ、まだ暗い屋外でのパブリックビューイングで、大観衆がガヌーの戴冠を祝福していた。  カメルーンからモロッコに1年かけて向かい、難民としていくつもの国境を越え、「ゴミの中の食べ物を漁ることもあった」というガヌー。自力の船でスペインへ渡り、26歳でフランス入り。  フランスでも路上生活は続いたが、ジムに住み込みでMMAを学び、26歳でプロデビューすると、29歳でUFCと契約。アリスター・オーフレイムを1R KOに下すなど10連勝でスティペ・ミオシッチが持つヘビー級王座に挑んだ。最初の挑戦は、5R判定で敗れ、UFC初黒星に。そこから3年。4戦連続1R KO・TKO勝ちをマークし、今回の再戦にこぎつけていた。  その間、ラスベガスに練習拠点を移し、2020の年間ベストMMAコーチに選出されたエクストリーム・クートゥアーのエリック・ニックシック、K-1でも活躍した元プロボクサーのデューウィー・クーパー、そしてセコンドとして、同じアフリカの世界王者カマル・ウスマン(ナイジェリア)からも指導を受け、万全の状態でオクタゴンに上がった。  試合は、左右のローキックを当てるガヌーが、ミオシッチのシングルレッグ(片足タックル)を切り、自らもダブルレッグ(両足タックル)に入るなど、MMAファイターとしての成長を見せると、最後はオーソドックス構えから右ジャブ、左ストレートの逆ワンツーを効かせてミオシッチのアゴを上げると、カウンターの左フック一閃! 王者をマットに沈めた。  試合後の会見でガヌーは、「前戦では“コントロールすること”や“時間をどう使うか”ということがよく分かっていなかった。試合時間のなかに“落ち着いて耐える時”が存在することを学んだ」と進化を語り、ウスマン、アデサニヤに続く3人目のアフリカ出身世界王者として、「ベルトはカメルーンの子ども達のために、どこか公共の場所に掲げて置けたら」と、母国のキッズの希望となることを願った。  着るもの、食べるもの、寝る場所さえもままならなかったMMA初心者時代。国境の有刺鉄線を越えて、チャンスを掴んだガヌーは、カメルーンにガヌーファンデーションを設立、格闘技ジムを建設しており、恵まれない子供たちが格闘技に携わることで、自分自身の人生に責任を持てるようにしたい、という。  ベルトを巻いたガヌーは会見の最後に、難民であるために様々な機会を得られなかった経験から、そして自ら動き、栄光を掴んだ経験から、同じような境遇にある子どもたちに向けて、以下のように熱いメッセージを送っている。 「多くの人が自分が経験したのと同じような苦境にいて、つらい思いをしていて、世の中の最低水準に達しない幼少時代を送っている。すべての子どもたちに、せめて、幼少期を楽しめるような機会が与えられてしかるべきであるし、それで大人になったときに、自分自身の人生に責任を持つことができるようになって、自分の人生に自分でちゃんと責任感を持って行動することができるようになる。  だけど……(口を結ぶ)こういう境遇の人はみんな同じ状況であり、それに対して自分は、実際のところ何もしてあげられはしない。でももし、誰かに伝える機会があるのなら言いたいことは、“人生フェアじゃない”って僕も分かってる、でも信じて行動し続けてほしい。人生がフェアじゃないのは、君のせいじゃないんだ。これもよく分かるんだけど、きっと、時として君は、このフェアじゃない人生を“自分がいけないんじゃないか”って思う時があると思う。でもそうじゃない。  子ども時代に叶わないいろんなこと、たとえばあるスカラシップ(奨学金制度)に応募して落選したからといって、それは君のせいじゃない。君が果たすべき使命なのではなく、そこは両親がきちんとチャンスを与えられないことが問題なのであって、君に責任はない。履く靴がない、それは君のせいじゃない。ペンだとか、いろんなものを持ってない、それも君のせいじゃない。とにかく今の自分にできるベストを尽くして行動するしかない。そうすることで、自分自身にとっての責任を自分が認識することができるんだ」──。  カメルーン人初のUFC世界王者、そして“人類最強”と言われるヘビー級の頂点に立ったフランシス・ガヌーの言葉をここに紹介したい。 [nextpage] チャピオンになり、幼少時代と折り合いをつけられた ──いまの率直なお気持ちをお聞かせください。 「素晴らしい気分だ。3年前に取れるはずだったものを待ち続けていた。自分自身にも、チームにも何もミステイクのない試合ができたと思う。完璧なゲームプランを組み立てて、この日に備えていた。ゲームプランの最終的な到達点というのは、とにかくリラックスして、焦って行こうとしないということ。つねに落ち着いていられるようにチームが支えてくれていた。チームのみんなは、僕が落ち着いているときに最も実力を発揮できることをよく理解してくれているから。焦って行動して誰かの頭をカットしたりしないでいられた。 ──テイクダウンディフェンスができるということは、“よし、いける”という気持ち的にどれくらい安心しましたか。 「あの特筆すべき展開に関して言えば、そんなに“よし、いける”というようなことを思ったりしなかった。ここ数カ月のトレーニングのなかで、多くのテイクダウン・ディフェンスをこなしていた。すごくハードなトレーニングキャンプで、試合6カ月前にレスリングの練習もすごくハードにこなしていて、そこを重視していたんだ。だからこそあの瞬間に、行けるとかそういうことを考えることはなく、自分が考えていたことは、彼(ミオシッチ)がいかにしてそこから打撃を出すことができるようになるかや、いかにこの展開から次の展開へと続けていけるかということだった。彼が強靭なことは分かっていて、そう、彼はタフだから、何が起きても驚くことはない。だから落ち着いて立て直すように考えていた。  長旅というのは、それが長ければ長いほど、そのご褒美を手にしたときの有難みも増すというもの。3年前だって自分がそこまでたどり着いたことに喜びはあったけれど、そういう感情から離れて自分とチームはそれから今日に至るまでに、全然違う観点を持っていて──つまり自分がいかに賢く戦える高いファイトIQがあるか、そういったものを証明した戦いを見せることであったり、そのために辛抱強くいられるかということでもあって──だから喜ぶべきことは、自分がいかに冷静に落ち着いて戦うことができて、“よし、OK、落ち着いて。このまま落ち着いていくんだ、お前には25分あるんだ、ラッシュすることはない、25分あるなかでチャンスはいくらでもある”と言い聞かせられたことだ」 ──スティペとの3度目の対戦も考えますか。 「あまり考えてない。彼は『引退するまでベルト保持者である』という言い方をしていたから、つまり彼は引退するのだろうか? 分からないけれど、自分が彼に負けてから彼はベルトを防衛し続けていて、ヘビー級のオールタイムベストでいたわけで、必要なら戦うだろう」 ──王座挑戦の意思があるのは、ジョン・ジョーンズ、デリック・ルイスあたりになります。どっちに勝負論があると考えますか。 「自分が、よりやる意味があると思うのはジョン・ジョーンズだ。彼が階級をどうするのかというのはある。自分はこの階級(ヘビー級)をもっと活性化したいと思ってる」 ──MMAを始めた頃、あるいはボクシングを始めた頃を振り返れば、「辛抱強くリングの上にいる」ということは難しかったのでは? 「たしかに。格闘技を始めた頃は、“コントロールすること”とは何か、“時間をどう使うか”ということがよく分かっていなかった。試合時間のなかで試合をしているという意識がちゃんとなくて、安易にラッシュしていた。試合の時間のなかに“落ち着いて耐える”時間が存在するということを分かっていなかったんだ、つまりファイトIQと呼ばれるものだ。でも、学ぶべきことを全て学んだということだ。自分が成すべきことを成さなければ満足できないから、この時のために、まったく違う物語が出来上がった。あらゆる小さなことも、すべて正しく調整した。“よし、自分は正しいことをして、ここにいるんだ”と自分に言い聞かせていたよ。  スティペは自分がタフだということをしっかり見せてくれていたから、そのことは重々承知で、1Rで、彼をとらえる寸前だったときに、彼は立て直せないんじゃないかと思った人もいるだろうけれど、彼はタフだ。だから彼が回復するチャンスを封じる必要があった」 ──UFC世界ヘビー級のベルトを手にしました。そのベルトをどうしますか。 「献身と忍耐の象徴として、子ども達のために、カメルーンのどこか公共の場所にベルトを掲げておいたらどうかなって思っている。子どもたちはそれを見てインスパイアされるだろうし、行動する決心を固めていける、そんなシンボルにしたい。どんなことだって実現できるってことを感じ取ってもらえれば、子供たちは夢見ることを信じていられると思う。とりあえず今、これ以上のいいアイデアは浮かんでないかな」 ──試合後にスティペとはどんな話をしていたのですか。 「彼とオクタゴンの空間を共有したかった。彼は今夜、自分にとって対戦相手としてここに立っていたけれど、互いを理解しあっていて、彼がヘビー級王者として最高の選手であり続けたという事実がそこにあり、自分が今そのポジションに立つことになった、“GOAT(Greatest Of All Time)”とともにそこにあるということに感謝の意を表さなくてはいけない。彼は素晴らしい人間だ。だが仕事として我々はここに立っていた」 ──「ヘビー級を活発にしたい」ということは、タイトルマッチを頻繁にこなしていくことになりますか。 「試合を減らしたい思ったことはない。もっとアクティブにしていきたい。年に2、3試合から5試合とか、この階級を先へ進めていく考えを持っているよ」 ──幼少時代の“ミッシングピースがある”という話をしていたけど、ベルトによってその溝を埋めることができるのでは? 「ベルトを家に持ち帰ってしばらく自分の気持ちを整理する時間が必要で、人生が向上したことで、次のステップは何なのか、それに向けてどうアプローチをしていけばいいのかを考えたい。このベルトを獲得することは常に自分の個としての大切な夢で、幼少時代と折り合いをつけるという意味で、それはいつも自分のファーストステップで、20年くらい前のことになるけれど、自分自身が誓ったこと──つまりチャンピオンになるということ、世界チャンピオンに、だ──自分は何者でもないというところから立ち上がったんだ。“いや自分はチャンスを掴み取る何者かなのである”と。そういう子どもだった」 ──スティペはこの試合、234パウンド(106.14kg)だった。263パウンド(119.30kg)のあなたはアドバンテージを感じましたか。 「いや、むしろ悲痛なほど不利だと思っていた、というのも自分はより軽くありたいと思っていたから。彼の最後のDC(ダニエル・コーミエー)との試合を見ていたら、彼はより軽くスピードがあり、何もかもが良い状態で、コンディションは最高だった。あの状態のスティペと対戦するのは正直嫌だった。これだけの大きな挑戦だから、コンディションにもものすごく気を使ったけど、最初の試合のときに、いかに彼が体重を落として最高の状態になれるのかも証明されていた。だから自分のほうがただ大きいというのは全く有利なことじゃない。正直、ここから20パウンド落とせて軽くなれたらどれほどいいだろうかと思っていた」 ──スティペのパンチを被弾して、最初にやったときと違いは感じましたか。 「いやその点ではまったく。唯一違いがあるとしたら、それに対応する自分自身の姿勢というか、彼の頭を落とそうとするのではなく、自分に“よし、大丈夫、いまは試合をしているだけなんだ、だから彼は自分にパンチだって当てることはできるだろうさ、だからそんなことが起きたって焦るな、彼にカウンターのチャンスであったり他に何か異なったアプローチができるようなチャンスを与えるな”と言い聞かせることができていた。おそらくスティペはそれを期待していた部分があるだろうし、そうなれば彼はカウンターだってあるしテイクダウンだってできていただろう。だからこそ自分は落ち着いていることが大事だった。そういう意味で精神的にも彼に勝っていたんじゃないだろうか」 ──最初にそのベルトを防衛したい場所、はどこかありますか。 「うーん、パリ? PPV配信をパリでもしているよね。まあそれだけのことで、ここベガスはホームだから、ここはいい場所だと思っているよ」。 ──王座獲得が実現した今、キャリアにおいて永遠に忘れられない日だと感じていますか。 「僕のキャリアはまだ終わってない。自分がさらに高みに向かっていけることがたくさんあり、それが実現できるだろうと思っている。だから、まだ分からない(微笑)」 ──試合後、まだ電話をチェックしていないそうですが、王者ガヌーが最初に連絡する相手とは? 「もう母に電話しているんだ。ただ、まだ話せてなくて、向こうは朝方にみんなで中継を見ていて大騒ぎだっただろうから、ベッドで着信に気づくことだろうね」 ──今夜、そのベルトはあなたの枕元に置くことになる? 「家にはもちろん持っていく、けどね。これ(ベルトを指して)は素晴らしいものさ。でも、鏡のようなものというのか。もっとも大事なことは何かというと、このベルトの背景に存在するプリンシプル(原理・原則、信条)なんだよ。なぜ、いかにして自分はタイトルホルダーとなりえたか、今チャンピオンであるのか、そういうことにきちんと向かいたい。とりあえず今夜は一緒に寝るだろうし、事実としては共に過ごすのだけれどね(笑)」 ──ここにたどり着く長い旅路のなかで、デューウィー・クーパー(打撃コーチ)やエリック・ニックシック(MMAコーチ)というあなたのチームで、今日のこのような活躍をするために、何を大事にしてきましたか。 「すべてだ。というのは、最初の対戦では、私は何もかもが正しくなかった。あの試合を振り返れば、全てのプロセスが何もかもめちゃくちゃだった。自分はショウアップされた世界で、なぜそこにいるのかも理解できていなかった。今回、自分自身の襟を正して、異なるアプローチを試み、そこで変わることができたことに感謝しているよ」 ──コロナで観客が試合を見られないのは寂しいことですが、コーナーの声はよく聞こえましたか。 「落ち着いて試合をしていれば、練習のなかで聴き慣れた彼らの声は近くでしっかりと届いているでだろうし、オクタゴンに入ったときに、しっかりとその存在を確認しているからね」 ──スティペはオールタイムベストであり、それをドミネートしたあなたの背負う責任とは何でしょうか。 「間違いなく彼はオールタイムベストであり、誰も彼が築いたものを奪うことなどはできない。自分はタイトルを獲得し、それを防衛し続けていく、そういう立場にあるということを、これから着実に刻んでいくだろう」 ──あなたはスティペとの初戦についてよく語っていましたが、ジョー・ローガンとの会話で、あなたは「2018年1月20日」と日付に言及しました。どれほどその日付とその試合について考えてきたのでしょうか。 「分からない、あの試合についての思いをどう語ったらいいのかは……ただ“タイトル”ということについて考えるというのは、いつだってものすごい重みのあることで、どれくらいかというと答えにくいのだけれども、そういう意味では、“常に”考えてきた、ということになるのだろうか」 ──ドキュメンタリーでもあなたがここにたどり着く道のり(カメルーンからモロッコに1年かけて向かい、難民として暮らし、自力の船でスペインへ渡り、26歳でフランス入り。MMAデビューし、29歳でUFCと契約)が語られてきましたが、いまいるヴェガスにはどんな思い入れがありますか。家を見つけて、自立したことは、どれほどあなたのキャリアにとって重要でしょうか。 「自分のキャリアにとって、大事な場所はどこであれ大事だけれど、ヴェガスは特別で、自分が何者かを証明できる場所として、今はホームだと感じられている。多くのものを与えてくれる場所だ、でも4年前はパリがそうで、パリがホームだった」 ──戴冠のお祝い後は、すぐにジムで練習を再開し、次戦に備えますか。 「すこし休みたい。あまりにも長いトレーニングキャンプを経て、ほとほと疲れ果てているという部分がところどころにあるんだ。でも、できる限り早く戦いたいと思っている。準備できるのは、7月、8月、9月……」 ──ついにベルトを手に入れ、明日の朝、目が覚めて「ああ、これは現実に起きたことなんだ」と実感するでしょうか。 「どうかな。そうは思わない。なぜなら今この瞬間もしっかりとそれは事実として起きたという実感を持つことができているから。疑う余地もないね(笑)」 ──コーナーについたカマル・ウスマンとは勝利のあとに何を話しましたか。 「(指を3本立てて)僕たちはただ、“3(スリー)”と交わしたんだ(微笑)。それを期待してくれている人たちをがっかりさせないためにも、自分もアフリカ出身のチャンピオン(ウスマンとイスラエル・アデサニヤ=ナイジェリア)に加われるかどうか、というプレッシャーが肩にのしかかっていた」 ──その「3」に入ったことはどんな意味がありますか。 「とてつもなく重要だ。僕たちは、アフリカ大陸全土にとっての希望の存在だから。とりわけスポーツの世界にとっては、我々のような人間は、アフリカ全体のなかでそういうチャンスに恵まれない人々の希望の存在なんだ。我々にはチャンスに恵まれていない人を、UFCのような舞台に押し上げていけるように推進していくことも求められていると思うし、それに限ったことではなく、何らかの夢や希望を信じてトレーニングしている人にとって、とても強いモチベーションになる。何かに頑張って励んでいれば、それはいつか実を結ぶのだと」 ──ライトヘビー級王座を返上したジョン・ジョーンズと戦いたいと? 「僕はチャンピオンになったけど、試合する人間であって対戦相手を指名して呼ぶことが仕事じゃない。UFCが決めることだ。まあ『ジョーンズとどうしたいか』と言われたら、『イエス』だ」 ──あなたが過去について恥ずかしがったりすることはなかったと思うのですが、あなたは最底辺のなかの底辺を経験していて、これからは最高の中の最高を経験していくことになるでしょうが、今、つらい思いをしている人たちに対して、あなたがいまUFCチャンピオンという立場からどのような声をかけたいと思いますか。 「(気分を害して)最初の質問はなんだ? 自分の過去を恥じているのか、と聞いているのか?」 ──違います、そうじゃなかったと思うが、という話です。あなたは過去を恥じることなく、そのことを語るということに対してもオープンです。底辺の過去を経験したあなたが上り詰めた、という点で、そこから今言えることは何かをお聞きしたい。 「まず、これまで一度たりとも自分の過去を恥じたことなどない。あまりにも辛くて思い出すと悲しくなるし、消し去ってしまいたいようなことだって人生にはあるけれど、でも前進するなかで気づくんだ、これも自分を形成してきた一部であったのだと。自分は誰であり、今の自分が何者なのかということにとって、過去はその一部になっている。  同時によく分かっているんだ。多くの人が自分が経験したのと同じような苦境にいて、つらい思いをしていて、世の中の最低水準に達しない幼少時代を送っている。すべての子どもたちに、せめて、幼少期を楽しめるような機会が与えられてしかるべきであるし、それで大人になったときに、自分自身の人生に責任を持つことができるようになって、自分の人生に自分でちゃんと責任感を持って行動することができるようになる。  だけど……(口を結ぶ)こういう境遇の人はみんな同じ状況であり、それに対して自分は、実際のところ何もしてあげられはしない。でももし、誰かに伝える機会があるのなら言いたいことは、“人生フェアじゃない”って僕も分かってる、でも信じて行動し続けてほしい。人生がフェアじゃないのは、君のせいじゃないんだ。これもよく分かるんだけど、きっと、時として君は、このフェアじゃない人生を“自分がいけないんじゃないか”って思う時があると思う。でもそうじゃない。  子ども時代に叶わないいろんなこと、たとえばあるスカラシップ(奨学金制度)に応募して落選したからといって、それは君のせいじゃない。君が果たすべき使命なのではなく、そこは両親がきちんとチャンスを与えられないことが問題なのであって、君に責任はない。履く靴がない、それは君のせいじゃない。ペンだとか、いろんなものを持ってない、それも君のせいじゃない。とにかく今の自分にできるベストを尽くして行動するしかない。そうすることで、自分自身にとっての責任を自分が認識することができるんだ」
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