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「150年に一人の天才」としてWBC世界ミニマム級王者、WBA世界同級王者に輝いた大橋秀行氏。引退後は、大橋ボクシングジム会長として“ラストサムライ”川嶋勝重、“激闘王”八重樫東、そして“モンスター”井上尚弥ら世界に誇る名王者を生み出してきた。「人生そのもの」といわれる拳闘に、40年以上にわたり携わる大橋会長が、「人間」を語る新連載・第2回。
Q.「セルフプロデュース力をつけるには?」
Q. 20歳大学生です。八重樫東選手みたいに「記憶に残る選手」になるとやっぱり、お金やステイタスがついてきますよね? これから就活なんですが、面接に受かるような「人の記憶に残る」セルフプロデュース方法を教えてください。
大橋秀行会長「『セルフプロデュース』とは、『小手先のテクニックで自分を飾る』ことではない」
「八重樫選手は最初から“激闘王”ではありませんでした。彼はもともとアウトボクサーで、足を使って勝つタイプだったのです。その戦術で、アマでかなりの実績を残し、大橋ジムに来たのです。
しかし、入門当時の八重樫は、私からすると“ダメ社員”でした。当時、ジムを移転しようとしていた時期でした。すると入門前の八重樫は私たちに『ジムの図面、見せてください』と言い、いろいろ注文めいたことを言うのです。新入社員が社長に注文つけるようなものです。トレーナーの中には『アイツ入れるのやめましょう』という人もいたくらいです。
練習でも“本気”が伝わってこないのです。実力はあるので日本チャンピオン、東洋太平洋チャンピオンも取りましたが、本気で世界を獲りたい、という思いが感じられない。途中で引退を勧め、その直前までいったことがありました。しかしその頃、結婚したこともあって、彼の中の何かが変わったのかもしれません。かろうじて引退は撤回することになります。
【写真】11月28日に大橋ジムの後輩で東洋太平洋フライ級8位の桑原拓と2Rの公開スパーリングを披露した八重樫東。引退後はトレーナー、コーチとして第2の人生を歩んでいる。
そして、彼は試合で顎を骨折し入院します。私も普段はそんなことはしたことがないのですが、ある本を入院中の八重樫に贈りました。その自己啓発の本を読み、考えるところがあったのか、彼は本当に変わりました。前向きな言葉だけ口にするようになり、そして、井岡一翔戦、ローマン・ゴンザレス戦という名勝負を繰り広げます。3階級制覇という偉業をも成し遂げ、“激闘王”として記憶に残る選手になっていきます。
『セルフプロデュース』とは、『小手先のテクニックで自分を飾る』ということではありません。逆に小手先に騙される人ばかりのレベルの会社に入っても仕方ないと思いませんか? 本物の人は必ず人の本質・本気を見抜きます。あなたが、本気になることです。すべてはそこから始まるのです」
A.「人の“本気“は必ず人に伝わる」
「『記憶に残る』のはその人が作り上げた実績で、“見せかけ”ではありません。どんなに選手が口で『走っています』と言っても、練習を見ればすぐに分かります。人の“本気“は必ず人に伝わるものです。あなたが本気でやれば、必ず応えてくれる人がいます。本気のつながりが、本当の人間関係、成功、幸福を呼び込むのです」(大橋)
※本コーナーは週1回連載です。
◆大橋秀行(おおはし ひでゆき)
1965年3月8日、神奈川県横浜市出身。大橋ボクシングジム会長。現役時代はヨネクラボクシングジム所属として、日本ジュニアフライ級(現・ライトフライ級)、WBC世界ミニマム級ならびにWBA世界同級王座を獲得した。現在は大橋ボクシングジム会長として、川嶋勝重、八重樫東、宮尾綾香、井上尚弥、井上拓真ら数多の世界王者を育成。
今週の名言
八重樫東「強い奴は強い奴と戦わなければ、ボクシングをやる意味がない。僕が誇れることは世界チャンピオンになったことではなく、負けても立ち上がってきたこと」「本当にやる気があるか、ないか。やる気があればモチベーション云々という言葉は出てこない」