1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去7月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。4回目は1990年7月6日に東京体育館で開催された『1990格闘技の祭典』にムエタイの超人気者が来日した一戦。
その勇ましい戦いぶりから“ランボー”のニックネームが付けられた世界ムエタイ連盟フライ級2位ポンシリ・ポー・ルアムレディー(タイ)が、5月に続き2度目の来日を果たした。前回は外国人対決だったが、今回は日本中量級で快進撃を続けるMA日本フェザー級王者・山崎通明(東金ジム)との対決を迎えた。
ランボーはムエタイの殿堂ルンピニースタジアムで人気ナンバーワン選手だったが、この頃は成績が下降気味で人気ナンバーワンの座を追われていた。しかし、これとは反比例して国外での人気が急上昇。新興のIMF(世界ムエタイ連盟)の世界サーキットで欧州を転戦し、各地のトップ選手を相手に勝ち星を重ねてきた。ルンピニーの人気者から国際的人気選手に変身しつつあったのである。
ランボーが日本人選手と対戦するのはこれが初めて。同じフライ級では実力が見合う選手は見当たらない。そこで4階級上の山崎とグローブを交えることになった。契約ウェイトは山崎57kgに対し、ランボーは55kgというハンディマッチ。主催者側がなんとか均衡した試合を…と考えてのことだろう。
1Rは左右のパンチを巧みに繰り出し好スタートを切った山崎だったが、2Rに形成を逆転されてしまう。ランボーの右フックが唸りをあげたのだ。殴る、というよりも引っかけるような叩きつけるパンチであっさりと3度ダウンを奪い、2R2分8秒、KO。ランボーは両手を上げ屈託のない笑顔を見せる。山崎はKO負けが宣せられた後も、しばらく立ち上がることができぬほどのダメージを負ってしまった。ムエタイトップファイターの強さをまざまざと見せつけられた一戦だった。