1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去7月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。2回目は1989年7月の『第2回格闘技の祭典』に初来日した“天を突くヒザ蹴り”ことムエタイの伝説中の伝説の人物ディーゼルノイ。
“天を突くヒザ蹴り”の異名で世界に知られる不世出のムエタイ戦士ディーゼルノイ・チョータナスカン(タイ)。強すぎるあまりに対戦相手がいなくなり現役引退を余儀なくされた、といわれる伝説の英雄である。そのディーゼルノイが、1989年7月に東京・後楽園ホールで開催された『第2回格闘技の祭典』で、ついに日本のファンの前に初めて姿を現した。
すでに引退していたため試合は行わなかったが、エキシビションマッチでMA日本ライト級王者・越川豊(東金ジム)と2Rのスパーリングを行った。一緒に初来日した6階級制覇王者チャモアペット・ハーパランと共に初めて日本のリングに上がるということで、マニアの間では大きな話題となり、会場には濃いファンが伝説を一目見ようと訪れていた。
ディーゼルノイは少年期にダーク県のスタジアムでデビューし、無敗の快進撃を続けてルンピニースタジアムではライト級王座を獲得。本人曰く120戦以上戦って、負けたのはわずか「5戦」。しかも全てに再戦で雪辱を晴らしている。得意技は185cmとタイ人にはあまりいない長身から繰り出すヒザ蹴り。あまりの強さに相手がいなくなり(ムエタイは賭けの対象でもあるため、強すぎると賭けが成立しないため試合が組まれなくなる)海外へ遠征。韓国、アメリカ、カンボジア、ミャンマーを転戦しここでも全勝。70年代後半から80年代前半で引退した。
「近代ムエタイ史において、彼ほど鋭利な、そして威力があり、なおかつ美しいヒザ蹴りができる選手はいない」とバンコクのムエタイ関係者が口をそろて、彼が実戦さながらのミットを行う時、ヒザを受けることができるのは専属トレーナーの一人だけと言われたほどだ。
1980年代のムエタイ界のスーパースター、サーマート・パヤクァルンとは一度だけ対戦したことがあり、ほとんどサーマート得意のパンチを喰らわずに首相撲からのヒザ蹴りで一方的に攻めて勝利を収めている。この一戦は晩年のディーゼルノイのベストファイトと言われた。
ディーゼルノイはエキシビションでダイナミックなフォームから繰り出す蹴りを見せ、場内を沸かせたが、やはりエキシビションはエキシビション。引退から10年が経っていても、試合を見たかったというのが当時の格闘技ファンの本音だろう。