佐竹(左)はこの日のために温存しておいた内股への前蹴りで南(右)を攻める
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去7月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。1回目は1989年7月の『第2回格闘技の祭典」で行われた『空手リアル・チャンピオン決定トーナメント』。
1988年4月に劇画界の巨匠・梶原一騎氏の追悼記念興行として東京・両国国技館で初開催された『格闘技の祭典』。1989年7月にはその第2回大会が東京・後楽園ホールで開催された。
第1回に続き、空手、キックボクシング、プロレス、女子プロレスなど様々なジャンルの試合が行われた。その中で第1回同様に開催されたのが、数々の流派の王者が集って日本一を争う『空手リアル・チャンピオン決定トーナメント』だ。第1回は柳澤聡行が同門の佐竹雅昭と決勝戦を争い、優勝候補だった佐竹を破り、試合後にはUWFの前田日明と藤原喜明に挑戦を表明したことが話題となった。
第2回は正道会館、白蓮会館、士道館、佐藤塾を始めとするフルコンタクト系空手の7流派16名が集結。熱い戦いを繰り広げた。余談だが、後に“ミスターデンジャー”と呼ばれデスマッチプロレスで名を馳せることになる松永光弘も誠心会館代表として出場、1回戦で玉城厚志(正道会館)に敗れている。
(写真)2回戦では士道館の重量級全日本王者・村上(右)を下突きで圧倒
優勝候補本命の佐竹は1回戦で白蓮会館の西田操一を相手に突きから下段廻し蹴りで、2回戦は士道館の重量級王者・村上竜司を左下突きからヒザ蹴りのコンビネーション。決着はどちらも本戦でついたものの、2試合とも4-0の判定が示すように決定的なものではなかった。
準決勝ではさらに手こずった。相手は同じ正道会館の玉城。互いに手の内を十分に知り尽くしている。結局、勝負は延長1回にもつれ込み、佐竹が判定をものにしたが「真面目にやれ!」とのヤジも飛ぶほど佐竹の動きは鈍かった。
(写真)準決勝、同門の玉城(右)を相手に手こずったが、延長戦ではパワーを爆発させた
反対側のブロックから勝ち上がってきたのは、白蓮会館のエース・南豪宏。白蓮会館の全日本トーナメントでは重量級を制し、極真会館の全関西大会では3位に食い込んだ実績もあり、注目を集めていた。
決勝戦。気合いを入れた佐竹がまず攻撃。左足中足で南の右足内股を突くように蹴った。この蹴りは決勝戦で使うために温存していた佐竹の秘密兵器だったという。
本戦は佐竹がこの蹴りを徹底連打するが、判定は2-1。勝負を決するほどの差がつかず、延長戦へ入ると佐竹は突きからヒザ蹴りにつなげる本来のスタイルで押し、左後ろ廻し蹴り。これが決まり、最後は飛びヒザ蹴り。精彩には欠けたが、ここで勝負がついた。
試合後、佐竹は「今回ほどしんどいのはなかったわ。実を言うと今朝、吐いてしまったんですよ。体調が悪くて身体が全然動かなかった」と、苦々しい顔で体調不良を告白。