フルラウンド上をとっていたヒョードルが判定勝ち。シュルトの長い手足に手こずった
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第30回目は2002年6月23日、さいたまスーパーアリーナで開催された『PRIDE.21』より、エメリヤーエンコ・ヒョードル(ロシア)の初参戦。
2000年9月、リングスに初来日したヒョードルは初代リングス・ヘビー級王座、第5代リングス無差別級王座に就き、リングスの活動休止を受けて2002年6月23日、PRIDEに初参戦を果たした。この時点では、知る人ぞ知るような存在であっただろう。
迎え撃ったのはセーム・シュルト(オランダ)。まだK-1でGP優勝を果たす前だったが、1999年11月にパンクラス無差別級王座に就き、2001年にはUFCにも参戦していた。PRIDEでは小路晃、佐竹雅昭、高山善廣にいずれもKO勝ちを収めている。
1R、シュルトの前蹴りに両脇を差して組み付いたヒョードルは、逆に押し倒そうとしてきたシュルトを投げるようにしてテイクダウン。身体を起こしてパウンドを打とうとするヒョードルに、シュルトは抱き着いて動きを制する。それでもヒョードルがマウントを奪い、パウンドから腕十字を仕掛けるがシュルトの巨体を抑えきれず、再びヒョードルがマウントへ。
パウンドを打つヒョードルにシュルトはブリッジして対抗するが、バランスのいいヒョードルは崩れない。再び体勢を整えるとパウンドを打ち込む。暴れるシュルトを抑え込むヒョードルもパウンドが続けられない。シュルトが長い手で抱え込む。ヒョードルは腕十字、アームロック、ネッククランクを仕掛けるがシュルトはことごとく逃れる。
2R、シュルトが胴タックルでいきなりテイクダウンし、シュルトはヒョードルの頭や腕を抱え込んで動きを制する。さらに下からのパンチ。ヒョードルもパウンドを単発ながら打っていき、シュルトを流血させる。ヒョードルの顔もシュルトの下からのパンチで朱に染まる。
3R、前蹴りを放つシュルトだが、ヒョードルがこのラウンドも胴タックルでテイクダウン。今度はサイドから頭部へヒザを打つが、シュルトの長い手足を利したディフェンスにパウンドや関節技に持ち込めず、抑え込む時間が長い。マウントからの連打もシュルトがすぐに抱え込んで防御。さすがに疲れが見えるヒョードルだが、単発ながらパウンドを当てていった。
1R10分、2・3R5分が過ぎ、全ラウンド上になっていたヒョードルがほぼ防戦一方だったシュルトに判定勝ちを収めた。シュルトの堅いディフェンスで膠着状態になることが多く、大きなインパクトは残せなかったヒョードルだが、“60億分の1”の座へ向かって第一歩を踏み出した一戦である。