1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第22回目は1998年6月24日、東京・日本武道館で開催された『PRIDE.3』より、技の攻防で観客を魅了した桜庭和志(高田道場)vsカーロス・ニュートン(カナダ)のPRIDE史に残る名勝負。
1997年12月にUFC JAPANでヘビー級トーナメントを制した桜庭は、1998年3月の『PRIDE.2』からPRIDEに参戦。初戦ではパンクラスで活躍したヴァーノン・"タイガー"・ホワイトを腕十字で切って落とし、第2戦目を迎えた。対するニュートンは1997年11月の『VALE TUDO JAPAN』(修斗)に初来日。当時の修斗ライトヘビー級王者エリック・パーソンから僅か41秒で一本勝ちを収め、1998年3月の再来日でも一本勝ち。1998年5月にはUFCに参戦してミドル級トーナメントで決勝へ進出するなど活躍し、今回がPRIDE初参戦となった。
すでに総合格闘技界で名が知れ渡り、日本でも人気者となっていたニュートンの寝技に、桜庭がどう対応するか――という見方がされていた。UFC JAPANで優勝していたとはいえ、この時点では桜庭の実力がそこまで高く評価されていたわけではない。まだ“どこまでやれるのか?”という段階だった。
試合は1R10分を3R、延長1Rありで行われた。先に胴タックルを仕掛けたのはニュートン。これを内股で返し、桜庭が上になる。さっそく腕十字をとりかけるが、これはニュートンが防御。桜庭はガードポジションのニュートンの足をアンクルホールドで極めにかかるが、これを潰してニュートンは上を奪い、さらにバックへ回る。再度桜庭が仕掛けた腕十字は防御。
5分経過。立って蹴り技でけん制する桜庭は、両足タックルでテイクダウン。ガードになるニュートンに再度のアンクルホールドを仕掛けるが、逃げられてサイドにつかれる。その後、オープンガードになることが多いニュートンは三角絞めなどを仕掛けていった。
2R、胴タックルからバックに回るニュートンに対し、桜庭は得意のアームロック。両者目まぐるしく動く。バックをとりながら崩せないニュートンはパンチ、ヒザ蹴り。下になって三角絞めを仕掛けるが、桜庭も腕十字で逆襲する。腕が伸びる最大のピンチを何とか凌いだニュートンだが、最後はバックをとったところで桜庭が膝十字。5分19秒、ニュートンからタップを奪った。
約15分間、お互いに動き回り攻め続けた両者の試合は当時のバーリトゥード(ポルトガル語で“何でもあり”MMAの原点となったブラジルの試合形式で当時の総合格闘技はこう呼ばれた)が持つイメージを変えるようなテクニカルかつスピード感のある好試合となった。
この試合内容と勝利で桜庭の評価はうなぎのぼりとなったが、桜庭が88kg、ニュートンが82kgであったことから「体格差があったからだ」とする見方もまだあった。なお、敗れたニュートンは3年後にUFC世界ウェルター級王者になっている。