1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第17回目は1992年6月19~21日、大阪府立体育会館にて開催された極真会館『第9回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会』で、極真全日本大会史上初の他流派選手が決勝へ進出した歴史的一戦。
「試割りの枚数、南豪宏21枚、木元正資20枚」その瞬間、大きなどよめきと歓声が沸き起こり、府立体育館は揺れ動いた。極真全日本大会史上初の他流派選手の決勝進出が決定したのだ。
白蓮会館のエース・南が初めて頭角を現したのは、第4回極真全関西選手権大会で3位に入賞した時である。この時、南は18歳で空手歴2年。大きな注目を集めたが、その2年後、南はさらに大きく成長して極真に挑戦状を叩きつけた。まず1990年第6回全関西選手権大会で準優勝を果たし、同じ年の第22回全日本選手権大会にも出場。第20回全日本王者・桑島保浩を破って周囲をあっと言わせ、他流派としては異例の6位入賞を果たしたのだ(歴代最高位は富樫宜資の5位)。
そして今大会、南は再び極真に挑戦。第7回全関西王者・鈴木国博、木浪利紀、佐伯健徳、そして木元正資と極真の実力者たちをいずれも体重・試割り判定(木浪のみ異例の延長4回の末に判定勝ち)で撃破。その実力もさることながら、これだけの激戦を乗り越えて“包囲網”を突破してきたスタミナは驚異という他ない。 決勝で南を迎え撃った極真最後の砦は田村悦宏(城西支部)。前年の重量級覇者である。
お互いの流派の威信をかけた戦闘開始。田村はいきなり右下段廻し蹴りを南の左足へ連射。激戦の連続で左足にダメージの残る南は動きが鈍る。それでも、南は下段廻し蹴りを返し、右膝蹴りで応戦。本戦はどちらにも旗が上がらず延長戦へと突入した。 田村は右下段廻し蹴りから下突きを連打。南も負けじと下突きを打ち返す。強い突きをコンビネーションで繰り出す南を相手に突き合っては不利と見たか、田村は左へ回り込みながら右下段廻し蹴り3連発。南の動きがガクッと落ち、田村は左膝蹴りのラッシュから右飛び膝蹴り。ここで本戦終了を告げる太鼓が鳴り響いた。
旗判定は田村に2本。主審も田村に上げて判定3-0で田村が極真の牙城を死守すると共に2連覇を達成した。
「緊張感があった。南選手は本当に強い。技術ももちろんですが、キツい試合を勝ち上がってきた技術力が立派だと思います」と南を称える田村。南は「左右の拳を痛めてしまって、どこまでやれるかという試練のつもりでした。田村さんは突きも蹴りも重かったし、練習していますね」と田村を称えた。