新品の空手衣に白帯を締めて登場したムエタイ戦士サパーペット(右)
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第16回目は1992年6月19~21日、大阪府立体育会館で開催された極真会館『第9回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会』にムエタイの元王者が参戦した話題。
極真空手の第1回全日本選手権大会(1969年)、第1回全世界選手権大会(1975年)にはムエタイの選手が空手衣を着て参戦した。これは、極真空手創始者・大山倍達総裁の「空手こそ地上最強」との信念に戻づくものであり、後には「本当は第1回全日本選手権大会を全日本格闘技選手権大会として開催しようとしていた」との裏話も明かしている。
競技として確立されてからもプロレスラーやキックボクサーが参戦するとの噂が何度かあったが、結局は実現には至らなかった。しかし、1992年6月に開催された『第9回全日本ウェイト制選手権大会』にムエタイの選手がエントリーして話題となった。
ウェイト制史上初の異種格闘家参戦で大いに注目を集めたのは、元ルンピニースタジアム認定ジュニア・フェザー級王者を名乗るサパーペット・キァッティペットノーイ(タイ)。埼玉県の空手道場に片っ端から“道場破り”を仕掛けているところを、極真の埼玉県支部長から「大会に出ないか」と勧められて出場した、…との触れ込みである。
大会初日の前々日予選に登場したサパーペットは鋭い踏み込みから右ロー、右ハイキックを繰り出し、そのスピードに関係者からも驚きの声があがる。しかし、金丸次郎(岡山支部)の中段突きに押されてあえなく後退。カウンターのヒザ蹴りを放つ間もなく、場外へ何度も押し出されて本戦で判定負けとなった。
ムエタイでは後退しながらでも蹴りを当てればポイントとなるが、これはあくまでも極真空手の試合。ルールの違いをよく把握していなかったのがサパーペットの敗因だった。