空手
コラム

【1991年6月の格闘技】黒澤浩樹は折れた骨が飛び出しても殴り続けた…極真魂を体現

2020/06/03 12:06
 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第7回目は1991年6月22・23日、大阪府立体育会館にて開催された極真会館『第8回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会』より、“これぞ極真魂”と多くの感動を呼んだ伝説の一戦。  前年に『第5回全世界選手権大会』の日本代表選考として開催された『第22回全日本選手権大会』で入賞を逃した選手は、世界大会出場へのラストチャンスとして『第8回全日本ウェイト制選手権大会』にエントリー。世界選手権大会への切符を懸けて熾烈な争いが展開された。  注目の重量級準決勝では、“怪物”七戸康博(沖縄支部)vs“格闘マシーン”黒澤浩樹(城西支部)が実現。両者は4年前の『第4回全日本ウェイト制選手権大会』の重量級決勝戦で初対決し、七戸が勝利を収めている。  七戸は第6回大会で4度目の重量級優勝を果たし、ウェイト制不敗の伝説が続いており“ウェイト制の鬼”とも呼ばれていた。  今回の舞台は準決勝。だが、この場においてはある意味で決勝戦以上に重要な意味を持つ。なぜなら、ここで勝利すれば世界選手権大会日本代表メンバーに確定するからだ。  開始を告げる太鼓が打ち鳴らされた。七戸は気合いを入れる怒声を発し、持ち前のパワー戦法に出る。これに対し、黒澤も一歩も退かない。七戸の豪快な突きを何発も喰いながらも体勢を低くし、懐に潜り込んで得意の下段廻し蹴りを放っていく。  世界への切符と意地を懸けた凄まじい打撃戦が続く。本戦は0-0で引き分け、延長戦も0-0、再延長戦で七戸に旗が一本上がったが決着はつかず。  規定の組手を終えて決着は試割り判定へと移る。七戸は24枚、黒澤は21枚を割っており、七戸が同大会5度目の優勝へ一歩前進する形となった。  ところがこの直後、場内の観衆は驚愕の渦に巻き込まれることとなる。黒澤が副審の一人に歩み寄り、左手を見せる。そこからは激しく鮮血が流れ落ちていた。舞台サイドにいたドクターが慌てて黒澤に走り寄る。流れる血をふき取ると、なんと黒澤の薬指からは折れた骨が飛び出していた(後に開放骨折だったと判明)。黒澤はその状態で渾身の突きを放ち続けていたのである。  勝敗が宣せられるまでは、決して表情を変えなかった黒澤だが、ドクターが消毒をすると表情を苦痛で歪め、耐えきれず悲痛な叫び声をあげた。場内が一瞬にして静まり返る。  城西支部の道場生たちが黒澤の周囲に集まり、担架に乗せて退場させようとしたが、黒澤はこれを拒絶する。それでも負傷を気遣って担架を持ち上げる道場生。その時だった。黒澤の先輩であり盟友の小笠原和彦の怒声が響いたのは。 「黒澤を担架なんかに乗せるんじゃねえ! 自分の足で歩いて行けるんだ!」  担架が床に降ろされる。黒澤は立ち上がり、唇を噛み締めて控室へ歩を進める。それは、武道性をあくまでも重んじる極真空手の大会会場ならではの独特の緊迫感があふれ出たワンシーンだった。  この出来事は格闘技雑誌で大々的に報じられ、会場で観戦していたファンはもとより、全国の格闘技ファンに知られることになった。黒澤は“極真魂の権化”としてさらなる人気を得て、推薦出場でその年11月の第5回全世界選手権大会に出場。自己最高の3位に入賞することになる。
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