1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第3回目は1987年6月28日、東京・後楽園ホールで開催されたMA日本キックボクシング連盟興行から、竹山晴友(大沢ジム)が12連続KOを飾った一戦。
竹山晴友は20歳で鹿児島県奄美大島から上京し、極真会館総本部の内弟子となり、大山倍達総裁から直々に教えを受けた。1980年の第12回全日本空手道選手権大会で7位入賞、翌年の第13回全日本でも7位、1982年の第14回全日本で5位、1983年の第15回全日本で3位と実績を上げていき、1984年1月の第3回全世界選手権に日本代表として出場した。
この世界選手権では優勝候補の一人と目されていたケニー・ウーテンボガードと対戦し、延長4回で敗れるも激闘を展開。同年秋の第16回全日本では準優勝となったが、キックボクシングへの転向を決意して1986年4月にプロデビューした。
圧倒的な攻撃力と決して下がらない突進ファイトで竹山は快進撃を続け、デビュー以来11連続KO勝ちをマーク。1987年6月28日の東京・後楽園ホール大会では、ウェルター級での実績を評価されて新設の日本ミドル級王座に認定された。
王者としての第1戦、そして新階級での初戦はウェルター級から竹山を追ってきた刺客、松岡健(東金ジム)が相手。松岡は1986年11月にも竹山と対戦し、3RでKOに敗れているものの、かなり苦しめた実績を持っている。
だが本来のウェイトに戻った竹山は動きがスムーズ。この日もいつもの猛ファイトが留まるところを知らなかった。首相撲に捕まえてのヒザ蹴り連打に加え、ドリルのような右ストレートが松岡に突き刺さる。
松岡のカウンターを喰らう場面もあったが、2Rに2度のダウンを奪い、3Rにはヒザ蹴り2発と右フックにより、3度のダウンを奪って12連続KO勝ちを飾った。