ダウンのポイント差を挽回することができず判定負け。世界トーナメント準決勝敗退に魔裟斗は涙した
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。35回目は2002年5月11日、日本武道館で行われた第1回の『K-1 WORLD MAX~世界一決定戦』から、魔裟斗(シルバーウルフ)vsアルバート・クラウス(オランダ)の準決勝。
魔裟斗の悲願であったK-1の-70kg級(ミドル級)世界トーナメントがついに開催された。2月に開催された日本代表決定トーナメントで優勝し、日本のエースとして臨んだ初の世界トーナメント。ドゥエイン・ラドウィック(アメリカ)、アルバート・クラウス(オランダ)、シェイン・チャップマン(ニュージーランド)、マリノ・デフローリン(スイス)、ガオラン・カウイチット(タイ)、張(中国)、そして日本トーナメント準優勝の小比類巻貴之(黒崎道場)の7カ国8名が出場した。
1回戦で魔裟斗はラドウィックからダウンを奪っての判定勝ち。準決勝で対戦したのは21歳で強豪ひしめくヨーロッパ地区の代表となったクラウスだった。クラウスは“欧州の魔裟斗”と呼ばれ、トーナメント前にはピーター・アーツと一緒にタイで特訓を行って今大会に臨んだ。1回戦では隠れ優勝候補と言われていた実力者シェイン・チャップマンを撃破している。
試合は1Rから激しい攻防が続いた。ローキックで足を殺しに行く魔裟斗に、クラウスも右ローを返す。魔裟斗のローにバランスを崩しながらもパンチを打っていくクラウス。終盤、魔裟斗が左を出したところに左ストレートをカウンターで合わせ、ダウンを奪う。
2R、立ち上がりからクラウスがラッシュをかけて魔裟斗を追い詰める。鋭いワンツーに魔裟斗も逃げずに打ち合いに行く。ダウンのダメージが残る魔裟斗は動きが鈍く、クラウスの左フックをもらう。強いローを蹴っていく魔裟斗は左フックをクリーンヒットさせるが、クラウスの右ストレートで下がらされてしまう。
3R、右ローを連打していく魔裟斗にクラウスはワンツーで対抗。魔裟斗の左ミドルには左ボディの連打。両者ともかなり顔が腫れあがる。魔裟斗のローで完全に足が止まるクラウスだが、右ストレートと左フックの威力は死んでいない。パンチとローのコンビネーションで畳みかける魔裟斗。残り20秒でクラウスを左フックでグラつかせ、連打で追い込んでいくがクラウスは耐える。
判定は29-28×2、30-28の判定3-0でクラウスが勝利。ダウンから挽回して追い上げを見せた魔裟斗に対し、場内は足を踏み鳴らして熱狂。この日のベストバウトとなったが、魔裟斗の世界一の夢は準決勝で潰えた。
魔裟斗は自らタオルを被り、セコンドに支えられながら控室へ戻ると、ウォーミングアップのために設けられた部屋に籠って号泣した。全試合終了後の表彰式でも、クラウスを見つめながら涙した。
試合後のコメントでは「(パンチで)倒されたこと? 初めてですね。スパーリングでもないです。(左ストレートは)効きましたよ。その前にもらったパンチで(目が)ぼやけちゃって」と、パンチで倒されたのは生涯初だったと話し、「パンチが強重、結構圧力があったし、俺が外国人相手に下がったのは初めて。すげぇ根性あった」とクラウスを評した。
魔裟斗とクラウスは生涯で4度対決し、魔裟斗が2勝1敗1分で勝ち越している。まさに魔裟斗のライバルだった。