ムエタイ最強のヒザ蹴りに苦しめられる小比類巻(左)
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。34回目は2002年5月11日、日本武道館で行われた第1回の『K-1 WORLD MAX~世界一決定戦』から、小比類巻貴之(黒崎道場)の戦い。
2月に開催された日本代表決定トーナメントで魔裟斗に次ぐ準優勝。インターネットによるファン投票で2位以下を大差で引き離しての1位を獲得し、K-1 WORLD MAX初の世界トーナメント出場が決まった小比類巻。所属をチームドラゴンから黒崎道場に変えての初陣となる。
1回戦の相手は2000年6月にスイスで判定負けしたマリノ・デフローリン。小比類巻は手を前に出してデフローリンの前進を止め、テンカオで攻めていく。ヒザが次々とヒットし、最後はカウンターのテンカオで1R1分12秒、デフローリンをマットに沈めた。
続く準決勝は、魔裟斗が「決勝で当たる」、小比類巻が「8人の中で一番強い」と評していたガオラン・カウイチット(タイ)。ラジャダムナンスタジアム認定ウェルター級1位、ルンピニースタジアム認定同級2位で、現チャンピオンではなかったが、この時点で“ムエタイ最強の男”との呼び声も高い実力者だった。
1R、ローキックを蹴る小比類巻に、ガオランは前蹴り&ミドルキックで距離をとる。間合いを詰めたガオランはパンチで小比類巻を追い込むと、得意のヒザ蹴りへつなぐ。小比類巻はヒザを嫌がり、ヘッドロックして窮地を凌ぐ。
(写真)倒れ際にヒザを落とすムエタイのダーティーテクニックで小比類巻は負傷
2R、ガオランのヒザ蹴りにヘッドロックで抵抗し続ける小比類巻だが、後ろを向いてしまう展開が多くなり、もつれて下敷きになった際にヒザを肋骨に受けて負傷。その後もヒザ蹴りでダウンを奪われてしまい、防戦一方に。右ハイを辛うじて返すが、ロープ際でヒザ蹴りの猛攻を受け、ついにダウンを喫してしまった(トーナメントルールにより2ノックダウン制)。
2R2分42秒、KO負けで小比類巻の世界トーナメント初挑戦は幕を閉じた。2月の日本トーナメントで受けた肩の脱臼でパンチが打てず、ローキックを蹴り続けたことによる足の剥離骨折で蹴りも使えない、傷が完治しないままでの挑戦だった。