1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。33回目は2002年5月11日、日本武道館で行われた第1回の『K-1 WORLD MAX~世界一決定戦』から、魔裟斗(シルバーウルフ)のトーナメント1回戦。
魔裟斗の悲願であったK-1の-70kg級(ミドル級)世界トーナメントがついに開催された。2月に開催された日本代表決定トーナメントで優勝し、日本のエースとして臨んだ初の世界トーナメント。ドゥエイン・ラドウィック(アメリカ)、アルバート・クラウス(オランダ)、シェイン・チャップマン(ニュージーランド)、マリノ・デフローリン(スイス)、ガオラン・カウイチット(タイ)、張(中国)、そして日本トーナメント準優勝の小比類巻貴之(黒崎道場)の7カ国8名が出場した。
1回戦で魔裟斗が迎えた相手はラドウィック。3月にアメリカ大陸地区予選トーナメントを制し、出場を決めた選手だが、MMAもこなす“二刀流”。後にUFCでも活躍し、日本では五味隆典とも戦うことになる相手だ。また、武尊が米国修行で指導を受けていることでも知られる。しかし、当時は情報不足と初来日ゆえ、魔裟斗有利との予想は動かなかった。
178cmで通常体重80kgのラドウィックは魔裟斗よりもひと回り大きかった。1Rから左ミドルと右ローを多用する魔裟斗に、長いリーチを伸ばしてパンチを合わせ、ローやヒザ蹴りにつなぎ魔裟斗のペースにさせない。
2Rには右ストレートを打ち込み、なんと魔裟斗の動きが一瞬止まる場面も。これに魔裟斗は強引に前へ出て、3Rに左フックでダウンを奪う。なおも倒しにかかった魔裟斗だが、ラドウィックは組みヒザで反撃。30-28×2、30-27の判定3-0で魔裟斗が勝利したが、ダウンを奪ったとはいえ予想外の苦戦を強いられ先行きに不安を残した。
後に魔裟斗は「体調的には悪くなかったけれど、何か1試合目はイマイチ調子が出なかったですね。1試合目は余裕でしたよ。余裕過ぎて集中できていないのかなって思った。(右ストレートは)そんな効いた攻撃ではなかったですね。思ったよりも蹴りが強いなって。うるさいのをポンポンって返してくるし、後でビデオを見たら意外といい選手なんですよ(笑)」とラドウィック戦を振り返っている。