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コラム

【1996年5月の格闘技】K-1GP初出場の武蔵がサム・グレコにラッキーな勝利、準決勝へ進出

2020/05/19 11:05
 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。22回目は1996年5月6日、神奈川・横浜アリーナで開催された『K-1 GRAND PRIX決勝戦』から、グランプリ初出場で決勝トーナメントに進出した若き日の武蔵(正道会館)の奮闘。  佐竹雅昭に続く日本人K-1ファイターとして1995年9月にプロデビューしたムサシ(武蔵=当時はカタカナ表記)。空手出身で、左右どちらにも構えて戦うことができる=二刀流であることから名づけられた。  デビュー戦ではパトリック・スミスをKOして初陣を飾り、2戦目では格上のスタン・ザ・マンを相手に善戦するも判定負け。初のエース佐竹不在となったこの年のK-1GPに“日本代表”として初エントリーし、3月の開幕戦ではキット・ライキンズ"ザ・ホワイトドラゴン"を1Rわずか37秒でKOし、決勝トーナメントへ駒を進めた。  準々決勝で対戦したのはサム・グレコ(オーストラリア/正道会館)。極真空手出身で1994年12月にK-1でプロデビュー。いきなり佐竹をKOし、2戦目もKO勝ち。3戦目にしてピーター・アーツの牙城に挑み、判定で敗れるも大激闘を展開した。その後の4連勝ではスタン・ザ・マン、バンダー・マーブを破り、3月のグランプリ開幕戦ではペリー・テリグットに判定勝ちして決勝トーナメントへ駒を進めていた。  当時のムサシは89kgとまだ線が細く、グレコは101kgと体重差は大きい。また、ムサシはデビュー戦前にグレコに教えを受けている。  1R、先制攻撃を仕掛けたのはグレコ。ワンツーから前蹴り、さらに小さく左へ上体を振ってワンツー、ミドル、さらにプレッシャーをかけながら前に出て、パンチでムサシを圧倒しようとする。  ムサシもワンツーからミドルの速いコンビネーション、伸びのあるハイキックを返し、負けじと前に出てパンチで応戦。しかし、パワーの違いもありグレコに攻め込まれる時間は長い。  ならばとムサシは前蹴り、ミドルを駆使してグレコの入り際に合わせてのカウンター狙い。1R終了間際にはグレコのワンツーを喰らって危ない場面もあったが、1Rはポイント差はなく終了。  続く2R、「セコンドアウト」の声にもグレコはコーナーの椅子に座ったまま動かない。赤コーナーにリングドクターが駆け上がり、たちまちざわめく場内。長いチェックが行われ、レフェリーは正式にストップを宣告。グレコは右足の第2指が骨折していたためドクターストップとなった。これにより、ムサシの準決勝進出が決定。 「1Rが終わってコーナーへ戻る時に、右足に何か痛みを感じた。椅子に座って足を見た時に親指の隣の指が不自然に右へ曲がっていることに気づいた」と試合後のグレコ。「ファンの皆さんをガッカリさせてしまったことが心残りです。だけど無理に試合をしていたら、ムサシには勝てていたかもしれないけれど準決勝のベルナルドとは戦えなかったでしょう。だから途中で断念しました」と話した。
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