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インタビュー

【RIZIN】地上波で放送されなかった朝倉未来の言葉「喧嘩とは全く違う」リング上の輝き

2020/05/05 13:05
 2020年5月5日、テレビ朝日およびABEMAビデオにて、朝倉未来(トライフォース赤坂)が出演した『しくじり先生』が放送された。  自著『強者の流儀』や未来が表紙となっている本誌『ゴング格闘技』5月号でも記されている通り、未来は同番組で喧嘩に明け暮れた中学・高校時代、少年院での生活、「THE OUTSIDER」で二階級王者となりRIZINで活躍、YouTubeで成功するまでを、教壇に上がり、そこで得た教訓とともに語った。  多くの言葉は既出で、地上波向きの分かりやすいエピソードとともに紹介された構成となったが、ABEMAビデオでの拡大版では、地上波でカットされた、格闘技との出会いがいかに未来を変えたのかについても語られている。  冒頭、「ヤンチャな人が死にかけないための授業をしていきたいと思います」とテーマを語った未来。  7歳から相撲・フルコンタクト空手に取り組み、極真空手の全国大会で準優勝の実績を残した未来は、その力を過信し、「子どもの頃から僕は、人並み以上に自分を最強と信じて疑いませんでした。ただ、いま思うとこれが死にかけてしまう第一歩でした」と語り始めた。  先輩に対して敬語を強いられることに不自由さを感じた未来は、公園や駐車場に先輩からの呼び出しを受けながらも、「空手とかもやってたので返り討ちにしました。ボコボコにさせてもらって」と語り、その後の“リヴェンジ無限ループ”について振り返った。  トイレで1対10の喧嘩に「全員まとめてやろうよ」と退かなかったこと、50人の暴走族に囲まれたときは「この状況、ヤンキー映画の主人公みたいでワクワクした」という。  しかし、「今考えると非常に危険」で、「後頭部を鉄パイプで殴打され、薄れゆく意識のなかでボコボコにされる。死ぬ寸前でした。1人と戦っていると横から鉄パイプでやられる。じわーんという感じ。パトカーが7台来て、みんな散っていった」と壮絶な敗北を振り返る。その結果、「左目がほぼ失明状態。0.02くらいまで落ちた。その後右目も同じ状態」となってしまう(※後に手術で回復)。 「結構、武器を使う人が多かった。木刀、金属バット……人の頭で木刀が折れたのを見たことがあります。ヤバイですね。金属バット相手には公園にあった自転車で防御して、植木バサミを持ってこられたときには仲間を呼んで武器を奪ってから戦ったりもしました」 「普通に考えたら50人相手に出来るわけない」と語る未来は、ヤンチャな人たちに伝えたいこととして、「漫画にある“ボコボコにされても人は簡単に死なない”を鵜呑みにしてはいけない。僕らの場合は殺人事件になる寸前だった。決して軽く考えてはいけない」と、現実の悲惨さを訴えかける。  その後、自身も暴走族の頭になることで1対1での“タイマン”でリヴェンジを仕掛け、“族潰し”に成功する未来だが、「こんなリヴェンジを続けると障がいを負ってしまったり、最悪死んでしまったり、死なせてしまったり、一生かけても償えない罪を背負うことになる」と、自身のみならず周囲を“死なせてしまう”ことにもなると後に気づいたことを語っている。  しかし、当時は「過密スケジュールでヤンチャな生活を続けていると刺激が足りない、もっと刺激が欲しいと心理状態がおかしくなり、刺激を求めて危険な場所に身を置いて、たびたび死にかけてしまう」と、自暴自棄な状態だったことを吐露する未来は、「刺激を求めた結果、路上でヘルメットで殴られたことに腹を立て、「アウトレイジ的な人の事務所に1人で乗り込み、拳銃を突き付けられた」ことを明かし、「脅しに対して怖がらなかった。この日だけじゃなく日常的に僕、死んでもいいと思ってたんで。結局、面倒くさいなと思われて解放された」と、捨て鉢になっていたことも明かす。 「無免許運転、暴走行為」等で16歳で逮捕され、少年院に。 「いまだから言えるけど、このとき逮捕されなければ、逮捕された3日後に上半身全体に刺青を入れる予定だったので、ほんとうに逮捕されて良かったです。極道で極めようと思っていました」と、人生の岐路に立っていたことを語る未来。当初は「少年院でも更生するつもりはなかった。出てもヤンチャしようと思っていたんです。むしろハクがつくと思っていた。極道になろうと思っていたので」  しかし、この少年院でそれまでの人生観が変わる数々の体験をしたという。 [nextpage] 誇れる戦いをしてください 「何ひとつ怖いものが無かった僕ですけど、少年院の生活は“地獄”。喧嘩三昧の頃と生活が真逆だった。何ひとつルールを守らなかった自分が、7時に起きて9時に寝る規則正しい生活になり、特にキツかったのは、私語が一切禁止なこと。プライベートに関することは一切喋ってはいけない。自由に話すことも私語で笑うことも禁止。規律を破ると、2週間、時計もないベッドとトイレしかない場所で、目をつぶって座禅をさせられる。皆さんが思っている以上に少年院はキツい場所です」  1年4カ月の少年院での生活で、未来の気持ちに変化が起きたのは、母親から毎月送られてくる手紙と、弟の海も含めた家族の面会。そして地元の友人の言葉だった。 「親と一緒に暮らしてなかったですけど、母親は毎月手紙と──少年院まで遠かったんですけど──毎月、家族で一緒に面会に来てくれました。地元の友達も心配していると聞いて、心配されているなと感じ、しっかりしないとなって。実際に書いてもらっている手紙は嬉しくて。何だろう……『いろんな才能を持っているから、ちゃんとしたら良い道で成功できるよ』とか信じてくれている感じがありました」と、未来は少しだけ言葉を詰まらせながら語っている。 「僕が捕まったとき母親は『自分の育て方が悪かった』と泣いていたそうです。自分を責めていた。悪い集団と縁を切らせるために、僕を北海道に送ることも考えていたらしいです。こういった出来事で、だんだん気持ちが変わっていきました。“大切な人を泣かせてまでヤンチャする意味って何?”と。僕はいままで自由にやりたいようにやってきました。でも自分がやってきたことで、親が泣いているのを見たときに、自由をはき違えていたんだなと気づきました。そして、地元の友達は常に僕を気にしていてくれて、変わらない態度で接してくれた。それが嬉しかった」  1年4カ月後に出院。 「今になって思うと、少年院でいろんなことを勉強し、少年院に入ってなければ極道の世界に行っていたのかもしれないし、いろんなことを考えると、ここで捕まってよかったと思います。普通の人が勉強している間に僕は自由に遊んでいたんで、(少年院で)すごく勉強とかも出来たことは良かった」 「少年院で立ち止まれたことが良かった」という未来は、出院し、総合格闘技と出会う。  友人の“岡くん”から「『THE OUTSIDER』っていう大会があるから出てみなよって勧められて。不良の一番を決めるなんて僕に持って来いだなって。今から思うと、僕に喧嘩を止めさせるために勧めてくれたのかなって」と、総合格闘技に取り組むようになったきっかけを語った未来。 「大会に出るために格闘技の道場に通うことにした」未来は、禅道会豊橋道場に入門。「本気で練習に励む格闘家とスパーリングしたら、ボコボコにされました。打撃は強かったですけど、寝技とかはやったことなかったんで、何回も絞められてコテンパンにやられました。それがとにかく悔しくて、いままで喧嘩していた時間をすべてトレーニングに費やしました」と、道場で洗礼を浴び、本格的に総合格闘技の練習に取り組んだことを明かす。  そして、格闘家デビュー。 「今までと同じように喧嘩に行くくらいのつもりで試合に行きましたが、試合に勝ったときに、大歓声を浴びたときに、喧嘩では味わえない達成感を感じました」と、未来は初リングを振り返る。 「喧嘩しているときは暗闇の公園とかでやっていて、2、3人が見ているくらいで、ほんとうに“自己満”でやっていたんですけど、リングの上で(相手を)倒したときに、いろんな人がこう喜んで……くれた。僕の親も観戦に来てくれて、喧嘩だったら喜んではくれないでしょうけど、試合に勝ったときに涙を流して喜んでくれました。『良かったね』と」。  ルールのなかで戦うことが、初めて他者を喜ばせることに繋がった未来は、「喧嘩」とは異なるリングの戦いをこう表現する。 「格闘技の試合でも(親は)心配はしていると思うけど、喧嘩をするよりはいい。デビュー戦とかは小さな会場でやっていたんですけど、“ああ、こんなに気持ちいいんだ”って感じでした。すごく明るく見えるんですよ、リングの上って。全く違いますね、喧嘩とは」  それまでヤンチャしていたエネルギーを格闘技に注ぎ込んだ結果、THE OUTSIDER史上初の二階級(60-65kg級・65-70kg級)王者に。その後、海外ROAD FCを経て、DEEP、RIZINでの8連勝の活躍、そしてYouTuberとしての成功は、既報の通りだ。  未来は「ヤンチャしている皆さんへ、心から感じることがあります」といまを生きる人に向けて語る。 「僕はずっと自由を求めていて、自由をはき違えていた。それは喧嘩とか法律を守らない自由で、親とか仲間とか誰かを悲しませている。無責任な自由だった。周りを悲しませずに出来る自由、やりたいことを見つけるのが大事だなと思いました」と、周囲に迷惑をかけずにやりたいことを見つけることの大切さを説くと、続けて、「僕はずっと不良の世界を見てきて、不良って負けず嫌いの人が多い。結構、方向性を変えれば成功する人は多いと思うんですよね。やる前から無理と思っている人が多いですけど、やってみてはどうかなと。何でもやる前から諦めずに、何でもできると思って挑戦してみてほしい」と、負けず嫌いの力を活かして、人生に挑戦することを勧めた。  最後に、「誰しも皆、人生というリングで戦っています。そこで皆、誇れる戦いをしてください。僕がリングの上で歓声を浴びたような感覚を皆さんにも味わってもらいたいんです。だから挑戦することを止めないでください。大切な人が喜んでくれる“何か”を見つけて、全力でエネルギーを注ぎ込もう」と、大切な人が喜んでくれる“何か”を見つけ、全力を注ぐこと──他者の喜びが自身の喜びにもなることを語った未来。  その“しくじり”と教訓を出演者として直に聞いた伊集院光は、「僕は昔もいまもヤンキーが嫌いです。とても嫌だなと思ったことがあるし、そういう人がいることで生きにくいと思ったこともあります。少年院に入ってハクがついたと思って出てくる人もいると思う。でも(朝倉)先生を見ていると、ちゃんと(少年院が社会復帰の施設として)機能してるんだって初めて分かった。次にアウトレイジに行く勲章にする人もいるんだと思う。でもこういう人がいるんだっていうことがたぶん、少年院の先生たちもすごい頑張ろうと思える。ヤンチャな人たちにこの授業を身に付けてほしい。少年院の授業で見てほしい」と、未来の更生について語っている。  大晦日の試合前には、実際に在院者の前で講演も行っている未来。今回同様に「夢を見つけ、かなえること」の大切さを語りながらも、口当たりのいい言葉だけを語ってはいない。 「ここにいる何人かは絶対また捕まると思っています」と5人に1人という「再犯率の高さ」を挙げ、「『皆さんはまた捕まる』っていう僕の言葉を5年、10年覚えておいてほしいです。ほんとうの意味で忘れていい時まで。また入っていたら僕は笑う」と突き放している。同時に、「でも何か夢を見つけてかなえていたら、僕の前に報告に来てもらえたら、一緒にお酒でも飲みながら、聞きたいですね、その話を」と、夢をかなえることの難しさと、それでも行動に移すことの大切さを実体験をもとに説いている。  人生というリングで輝く“第二の朝倉未来”は現れるか。『しくじり先生』はABEMAビデオにて視聴が可能だ。
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