1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。25回目は1997年4月6日に東京・後楽園ホールで開催された『プロフェッショナル修斗公式戦』で実現した、エンセン井上(STG大宮)vsレイ・ズール(ブラジル)の一戦。
(写真)打撃に対してほとんどノーガードだったズール まさかの試合が実現した。修斗ヘビー級のエースとして人気急上昇中のエンセンと、20代の頃のヒクソン・グレイシーとの2度にわたる死闘において「ヒクソンが自らガードポジションになった唯一の試合」「ヒクソンが認める最も苦戦した試合」「ヒクソンがオントップを取られた」等々、数々の伝説を残しているズールの一騎打ちだ。
自称51歳の“生ける伝説”は、前年の夏にもバーリトゥードのトーナメントに出場し、決勝まで勝ち進んでいる。レスリングとバーリトゥードを合わせて156試合もの経験があるという。「ズールは喧嘩屋だから“殺されちゃう”の感じあった」と独特の言葉遣いで語るエンセンは、伝説の亡霊を感じ取っていたのか…。会場は超満員に膨れ上がった。
(写真)エンセンの右ストレートがさく裂 試合はヘビー級15分1R、エンセンの希望によりヒジ打ちありの特別ルールによる非公式戦で行われた。その内容は一方的だった。エンセンはキックボクシングジムへの出稽古で鍛えた打撃で左インロー、ジャブを放ち、前足に片足タックルを仕掛けるズールを中に入らせない。
ズールの左に右ストレートを合わせ、さらに右の追打、右アッパーの猛攻に倒れたズール。その背中に馬乗りとなるエンセン。レフェリーが間に入って“ダウンカウント”が数えられる。カウント5で立ち上がるズール。
(写真)ヒジ打ちの連打 カウント9後、再開。左で差して組むことに成功するズールだが、離れ際の打撃を狙うとエンセンの右を再び被弾。頭を下げて足を手繰りにいくが、しっかり断ち切るエンセンの圧力にズールは背中を向けてしまう。背後から崩されてヒザをマット着いたズール。バックマウントから殴るエンセン。凄まじい形相でヒジ打ちを連打。素早くレフェリーが割って入り、ダウンを宣告する。 試合開始から僅か45秒、生ける伝説を葬り去った。
エンセンはこの時点で5月30日に米国ジョージア州オーガスタで開催される『UFC 13』への出場が決まっており、弾みをつける勝利となった。
一方、ズールは「再戦したい。私はブラジルで最年長のファイター。父からレスリングを習い、あとは自分で鍛え上げてきた。柔術の練習はしたことがない。戦うのが大好きで自分はプロのファイターだから、ずっと戦い続けるつもりだよ」とコメントした。
ズールがその後も試合を行っていたのかは不明だが、2005年10月には『PRIDE』に息子のズルジーニョ(リングネームはズール)が来日。エメリヤーエンコ・ヒョードルやアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと対戦している。