キックボクシング
コラム

【1993年4月の格闘技】全日本女子プロレスで「格闘技戦」をやり続けたバット吉永

2020/04/13 15:04
 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。17回目は全日本女子プロレスに所属する女子プロレスラーながら“格闘技戦”をやり続けたバット吉永が、女子プロレスのビッグマッチで行った一戦。  空前の第2次女子プロレスブームが巻き起こっていた90年代、全日本女子プロレスで“格闘技戦”を行っていた女子プロレスラーがいた。リングネームはバット吉永。元々は極真空手出身で、第2回・第3回全世界空手道選手権大会を連覇した中村誠の教え子だった。全女のオーディションで野球用バットを蹴りで折るパフォーマンスを行ったことから、バット吉永と命名されたという。  ブル中野率いる獄門党の一員だったが、1991年3月に全女が新たなファン獲得のためであったのだろう格闘技戦用に「WWWA世界格闘技王座」なるタイトルを新設し、その初代王座にバットが就いた。ルールは総合格闘技ではなく、ボクシンググローブを着用してのキックボクシングルール。 (写真)バットの極真空手仕込みのローキックにスーザンは顔をしかめる バットの名を一躍高めたのは、1992年11月に行われた神風杏子との試合だった。神風はシュートボクシングで第3代SBクイーンとなり、その後はキックボクシングで国内外で活躍。格闘技界では名前が知られた存在であり、体重差はあったもののバットがバックハンドブローでKO勝ちを飾ったのだ。  一人異彩を放つバットは、1993年4月2日に横浜アリーナで開催された女子プロレスのビッグマッチ『全女イズ夢☆爆発!』でもWWWA世界格闘技選手権でキックボクシングのIKF・USウェルター級王者スーザン・ハワード(アメリカ)とキックボクシングルールで対戦した。  この大会は全女の創立25周年記念イベントとして、全女・JWP・LLPW・FMWの4団体が集結し、対抗戦を行うことで大きな話題となっていた。バットも「対抗戦に出たかったけれど、これ(格闘技戦)は私にしかできないから…」と、女子プロレスラーとして複雑な思いで試合に臨んだ。 (写真)3R、タイミングよく決まったパンチでダウンを奪ったバット 1R、パンチに対して頭を下げて後退するスーザンを、バットはジャブを突きながらコーナーへ詰めていく。スーザンはバックキックからバックハンドブローへつなぐコンビネーションを見せるが、お構いなしのバットはガードもせずに前進し、プレッシャーをかけていく。  2Rに入り、バットの得意技ローキックがスーザンの右足で小気味いい音をたてる度に場内からは「オーッ!」との歓声が沸き起こる。徐々に動きが鈍くなるスーザンはサイドキックを繰り出して何とか距離をとろうとするが、バットは止まらない。  そして3R、左右のローを放ちながらさらに前進するバットは、スーザンのバックハンドブローが流れたところへすかさずワンツー、バランスを崩して尻もちをついたスーザンに、レフェリーはダウンをコールした。  カウント8で再開後、バットはローの連打からスーザンを赤コーナーに詰めるがダウンによるダメージはないスーザンがパンチで応戦したため仕留められない。  終盤になるとスーザンはスタミナ切れ、闇雲にパンチを振り回して前進する。バットもこれに応戦し、最後までお互いにノーガードで顔面を殴り合った。 (写真)防衛に成功したベルトを抱きかかえるバット 終始前進して攻め続けながら、スーザンの想像を超えるタフネスの前に3分5Rをフルに戦っての判定勝ちで3度目の防衛に成功。バットは「自分の持ち味はKO。それができなかった。練習通り動けなかった自分が悔しい。今回はいい勉強になりました。ベルトは引退するまで守っていきたいです」と試合後に語った。  しかし、その後に格闘技路線が盛り上がることなく、バットの格闘技戦は自然消滅。バットも頸椎を痛めて1994年10月に引退した。すでに存在していたK-1などの格闘技団体への参戦があれば、さらに話題となっていただろう。今振り返ればもったいない選手だった。
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