サブミッション・アーツ・レスリング(SAW)の創始者である麻生秀孝師範が、2025年10月29日(水)に多臓器不全のため亡くなっていたことが分かった。10月29日は故人の75歳の誕生日でもあった。
麻生師範は1950年、広島県生まれ。高校2年生で柔道を始め、1週間後に黒帯を取得。大学、社会人実業団と柔道を続け、21歳の時に柔道の技術を高めるためにサンボとレスリングを習い始めた。その後はレスリング全日本選手権・全日本社会人大会等にも出場していたがサンボに傾倒し、1978年にはソ連(当時)国際大会に出場、1979年世界選手権(マドリード)で優勝などの実績を残す。
独自の関節技を考案し、カール・ゴッチやUWFとの交流も行い、1986年に自分の絞め・関節技の格闘技を「サブミッション・アーツ」(1987年にサブミッション・アーツ・レスリングに改名)と名づけた。
柔術やグラップリングが普及するよりも前に、柔道・サンボ・レスリングをベースとした組み技・寝技に特化した格闘技ということで注目を集め、格闘技雑誌への露出も増え数多くの書籍やDVDなども発売。大道塾総本部で寝技の指導も行っていた。
同時にサンボの普及にも尽力し、日本サンボ連盟の常任理事、副会長、ワールドカップでの全日本選手団ヘッドコーチなども務めた。2008年には国際サンボ連盟から功績を称える銀メダルが贈られている。
1989年には第1回のSAW大会を開催、以後毎年全日本大会が開催されてきた。10月19日にも開催されたばかりだという。プロ活動にも積極的で、前田日明率いるリングスに木村浩一郎(故人)、鶴巻伸洋などを送り込んだ。埼玉県朝霞市にあるSAW総本部での指導を続け、関節技・絞め技の新しい技の開発や研鑽に余念がなかった。
葬儀は11月4日(火)に故人の希望で近親者のみで行われた。かつての弟子が亡くなる6日前にお見舞いに行ったところ、饒舌で元気そうだったという。
<経歴>国際サブミッションアーツレスリング連盟(S.A.W.)創始師範(9段)国際武道柔術連盟 創始者(10段)ノーススター柔術10段 国際空手道連盟極真武道会8段日本サンボ連盟公認7段日本レスリング協会公認6段 講道館柔道5段 レスリング(天皇杯)全日本選手権大会入賞サンボ世界選手権出場団体3位・個人入賞サンボワールドカップ(東京)全日本代表監督 サンボ世界選手権大会(東京)広報委員長