地元・福岡でアラゾフからの刺客を迎え撃つ朝久(C)K-1
2025年7月13日(日)福岡・マリンメッセ福岡B館『ECO信頼サービス株式会社 presents K-1 DONTAKU』のK-1スーパー・ライト級3分3R延長1Rで、ダニラ・クワチ (ベラルーシ/Gridin Gym)と対戦する朝久泰央(朝久道場)のインタビューが主催者を通じて届いた。
朝久は、21年7月にK-1九州大会でゴンナパー・ウィラサクレックから延長判定で勝利し、第5代K-1ライト級王座に就いた。22年2月はスーパーファイトで与座優貴と対戦し、延長で敗北。怪我で長期欠場を余儀なくされたが、23年3月に約1年ぶりに復帰し初防衛戦で与座とのリベンジマッチに臨むも判定負け。24年10月に龍華から判定勝ちで再起。12月はRIZIN大晦日大会でYURAからダウンを奪い勝利。25年5月は再びRIZINに参戦し、ウザ強ヨシヤを2RTKOで下した。
クワチは、チンギス・アラゾフが連れてきたスーパー・ライト級(-65kg)の“ベラルーシの切り込み隊長”。キックボクシングとムエタイに精通しており、変幻自在に左右に構えをチェンジしながら多彩な攻撃を繰り出すのが特長。24年12月のK-1初参戦では寺島輝をバックブローでKOしている。
ヨシヤさんとの試合で人間としての深みを増した
――2年ぶりの地元・福岡での開催。前回の福岡大会はK-1 WORLD GPライト級タイトルマッチで、ゴンナパー選手を破っての王座戴冠となりました。
「地元だから勝てたとか、周りから有利だったと思われるのが嫌なので、もしかしたら今回が地元最後の試合になるかもしれません」
――ええっ、そうなんですか?
「ゴンナパー選手と戦った時も、『タイ人は冬に戦うと身体が動かない』とか、よく言われていたので、それで真夏に戦うことになって。それが、たまたま福岡だったということです。兄は中国で戦っていますし、自分も東京で試合をする方が燃えますね。もちろん地元の方々が応援に来てくれることもありますので、それは感謝しかないんですが、ホームだから勝てたみたいな印象を持たれるのは嫌です」
――朝久兄弟を見るために福岡へ来いみたいな意識かと思っていました。
「違いますね。兄も同じような考え方を持っていると思います。福岡には、たくさんいい選手がいるので、他の選手に任せたいという思いもあります。ただ兄弟が揃って試合をするのは、これがラストになるかもしれません」
――過去、何回くらい同じ大会で試合をしてきたのでしょうか?
「駆け出しの頃は、3、4回ありましたけど、今回一緒に出るのは7年ぶりなので、この先はもうないかなと思っています」
――朝久選手は、昨年のRIZIN大晦日大会の番外地でYURA選手を破った後、前回は今年5月のRIZIN男祭りでウザ強ヨシヤ選手をKOで下しました。振り返ってみて、いかがでしたか?
「前回のヨシヤさんとの試合を経験し、人間としての深みを増した実感があります」
――深みを増した? ウザ強選手とは試合後に交流を温め合っていましたが、彼と話す中で何か気づきがあったと。
「はい。記者会見のフェイスオフで腕を相手よりも高く上げたり、自分がヨシヤさんの首を絞める行動をしましたが、あの時互いに何を考えていたのかを話して、より理解を深めたというか。ヨシヤさんの考えを聞いて、男として彼の覚悟を学ばせていただきました」
――朝久選手とウザ強選手のキャリアや実績を比較すると、戦前から勝って当然という見方もされていたと思います。
「じつは、それが一番キツかったですね。強豪選手と戦って勝てば強いと言われますが、勝って当たり前の選手と戦う時は、KOできないで判定になったら弱いと思われたりするので」
――しかもウザ強選手はステップを使って動き回り、バックブローが飛んでくる変則のファイトスタイルでした。
「よく言われるのは、100の武器を持っている選手よりも一つの武器を極めた選手の方が怖いと。一般の人からしたら、ヨシヤさんの動きはサークリングというか、ただ逃げているように見えたかもしれません。でも本人にも伝えましたが、自分から見たらヨシヤさんはナイフを持って逃げているようなイメージでした。捕まえて倒すことはできたかもしれませんが、その瞬間、ナイフで傷つけられるかもしれないと思っていました」
――なるほど。倒しにいった瞬間、バックブローでやられる危険性を感じていたと。
「その怖さは、つねにありました。ヨシヤさんは、すごい家系の人なんですけど、試合をする時は『人殺しを返り討ちにする気持ちで戦え』と言われていたようです」
――ウザ強選手はフジテレビ社員が大きくクローズアップされていましたが、彼の生き様に触れて、朝久選手が人間的に成長ができたわけですね。
「はい、そうです」