2025年6月21日(日本時間22日)、元UFC世界ヘビー級&ライトヘビー級王者のジョン・ジョーンズ(米国)がMMA(総合格闘技)からの引退を発表した。
37歳のジョーンズは21日、Xに「本日、UFCからの引退を正式に発表します。この決断は熟考を重ねた上での決断であり、この長い道のりに心から感謝の意を表したいと思います。
初めてオクタゴンに足を踏み入れた時から、このスポーツの可能性の限界を押し広げることが私の目標でした。UFC史上最年少チャンピオン(※23歳8カ月)になったこと、世界最高峰のファイターたちを相手にタイトルを防衛したこと、そして世界中のファンと忘れられない瞬間を共有したこと。これらは永遠に大切にする思い出です。信じられないほどの喜びも、時には厳しい挫折も経験しましたが、すべての挑戦が私に貴重なものを与え、ファイターとしても人間としても、私を強くしてくれました。
(C)Zuffa LLC/UFC
UFC、ダナ、ハンター、ロレンゾ、神、家族、コーチ陣、チームメイト、そしてあらゆる局面で私を支えてくれたすべてのファンに感謝します。皆さんの揺るぎないサポートと私への信頼が、私の支えとなっています。仲間のファイターの皆さん、私の最高の力を引き出し、ケージの内外で共に敬意を表してくれたことに感謝します。
人生のこの章を終えるにあたり、新たな機会と挑戦を楽しみにしています。MMAはこれからも私の一部であり、このスポーツにどのように貢献し、新しい方法で人々に刺激を与え続けられるか、今からワクワクしています。この素晴らしい旅路を共に歩んでくださった皆様、本当にありがとうございました。最高の瞬間はまだこれからです」と投稿した。
新たなUFCヘビー級王者には、暫定王者だったトム・アスピナル(英国)が正規王者に昇格。ジョーンズの最後の試合は、2024年11月のスティーペ・ミオシッチ戦で、3R 左スピニングバックキックからパウンドによるTKO勝ちでヘビー王座初防衛に成功している。
MMA30戦28勝1敗1NC。ひとつの黒星は2009年12月のマット・ハミル戦でのジョーンズの垂直方向のヒジ打ちによる失格。この攻撃は現在では有効打とされている。また、ひとつの無効試合は2017年7月のダニエル・コーミエーとの再戦での薬物検査失格によるもの。さまざまなトルブルもあった“JJ”だが、長い期間「パウンド・フォー・パウンド最強」であったことは間違いない。
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2009年のUFCバックステージでのジョーンズとコールマンの「第三次大戦」
(C)GONG KAKUTOGI
このJJを含む“GOAT”(Greatest Of All Time)と呼ばれるUFC世界王者の3人──ジョン・ジョーンズとGSPとハビブ・ヌルマゴメドフについて、“名伯楽”ジョン・ダナハーが秘話とともに、その“GOAT”たる理由を語っている。スティーブン・トンプソンによるGSP評に続き、興味深いエピソードを紹介したい。
ジェイク・シールズの『Jake Shields' Fight Back Podcast』に出演したグラップリング界の巨匠ダナハーは、ジョン・ジョーンズ(JJ)とジョルジュ・サンピエール(GSP)を間近で見てきた名コーチだ。
「MMAの偉大な選手について語るとき、信じられないほど才能のある選手がたくさんいるけど、私個人としては、『歴代3大MMAファイター』は常にジョージ(GSP)、ジョン・ジョーンズ、ハビブだ。もちろん他にも傑出した選手はたくさんいる。アンデウソン・シウバやエメリヤーエンコ・ヒョードル、桜庭和志、それにBJ・ペンも。しかし、私にとっては、GSP、JJ、ハビブの3人になる」と“GOAT”を挙げる。
「この3人は全員、余裕を持って対戦相手をことごとく退けている。ジョージは2度負けたが、再戦では2人に決定的な勝利を収めた」と、元UFC世界ウェルター級&ミドル級王者のGSPについて語る。
「GSPの場合、アンデウソン・シウバと戦ったらどうなったかという思いが常にある。明らかに、アンデウソンには体格的にアドバンテージがあった。しかし、私はトレーニングでジョージがアンデウソン・シウバよりもずっと大きな選手を簡単に倒しているのを見たことがある。だから魅力的な試合になっただろう。ハビブとの試合はもっと複雑だっただろう。ジョージのキャリアが終わってから何年も経っていただろうからね。全盛期は過ぎていたけど、まだ驚異的な体型で、たくさんトレーニングしていたよ」と、GSPが階級を越えてGOATだったという。
そして“JJ”ことジョン・ジョーンズについてダナハーは、驚くべきエピソードとともに、その非凡な才能とメンタリティーについて明かす。
「ジョン・ジョーンズは、私が出会ったMMAファイターの中で最も素晴らしい人物の一人だ。彼に初めて会ったときのことを覚えている。『UFC100』(2009年7月)が行われたとき、私はジョージと一緒にそこにいた。ジョージはコメインでチアゴ・アウベスと戦い、ブロック・レスナーがメインイベントだった。ファイトウィークが始まった時、私たちはジョージの最初のワークアウトのために火曜日の夜にトレーニングルームに向かった。UFCが選手たちのために用意した部屋は満員で、マットの上に出るには待たなければならなかった。
ダン・ヘンダーソンと戦うためにマイケル・ビスピンがトレーニングしていたり、いろいろな人がいた。国によってトレーニングのスタイルが全然違う。練習や準備に対するアプローチは人それぞれだ。私はフィラス・ザハビの隣に座っていて、ジョージは私たちと一緒にウォーミングアップをして、マットの上の自分の番を待っている。ようやくトレーニングが終わり、若いジョン・ジョーンズがそこに登場した」
トレーニングルームに来たジョン・ジョーンズはローカル大会で8連勝をマークしていたものの、UFCではまだ3戦目。『UFC100』では4試合目のアンダーカードだった。
「彼は一人でやってきてトレーニングパートナーを探していた。その大会では、マーク・コールマンも同じライトヘビー級で試合が組まれていた。キャリアの晩年を迎えていたが、知っての通り元PRIDE王者で、伝説的な選手だ。若手はみんな彼を尊敬していた。
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部屋にやってきたJJは、そのレジェンドにシングルレッグ(片足タックル)のテイクダウンについて質問し始めた。『こうして仕掛けるとグリップを切られて止められてしまう。どうしたらいい?』と。その時、マーク・コールマンは、『スイッチ・トゥ・ダブル(ダブルレッグ=両足タックルに切り替えろ)』とアドバイスした。
しかし、JJは「手首を押さえられているからそれができないんだ」と聞き返す。コールマンは再び『スイッチ・トゥ・ダブル』と返すのみ。JJも引き下がらない。『でも、もし相手が上からプレッシャーをかけてきたら? 俺は頭を上げることができない』と食い下がる。そこでコールマンは、(ゆっくりと)『スイッチ・トゥ・“ファッキン”ダブル』とJJに(睨みつけるようにして)言ったんだ。周りの人はこんな感じ(目をキョロキョロ)だ。そこで、ジョン・ジョーンズは、『ちょっと試してみてもいい?』と言って、コールマンとマット上で組み始めた。
“軍曹(コールマン)”は、シングルレッグからダブルレッグへと100%爆発した。ジョン・ジョーンズは猫のように機敏な反射神経の持ち主だ。彼はそれをディフェンスする。2人はただただトレーニングルームを疾走し始めた。人々は逃げ惑う。まるで紅海が目の前で割れるように。彼らは土曜日の夜に試合をするのに、火曜日にコンクリートの壁に真っ向からぶつかり、人の上を走り回り、人を倒しまくっている。大混乱だ。“第三次クソ世界大戦”になった。
私は“これが本当に起こっていることなのか”とジョージとお互いに顔を見合わせた。ジョージは『これは狂気の沙汰だ!』と言っている。彼らは5分間の戦争をした。そして、部屋を空にして、2人とも完全に疲れ果ててしまった。それが彼らのワークアウトだった。
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その後、私たちはその部屋に入ったんだけど、その部屋には文字通り誰もいなかった。クレイジーなヤツと一緒にいたからね。そしてその次の夜、みんなが戻って来て、(2人に触発されて)第三次世界大戦が再び始まった。驚いたよ。あんなことは現代では絶対に起こらない。みんなプロ意識が高すぎるし、教養もあるからね」と、ダナハーは2009年のUFCでの出来事を振り返った。
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彼は即興でやってのける
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ダナハーは、JJが所属するジャクソン・ウィンクMMA代表のグレッグ・ジャックソンと旧知の仲だ。あるセミナーで、ダナハー自身もJJからアドバイスを求められたことがあるという。
「私はジョン・ジョーンズに会うたびに、とても感銘を受けてきた。あるセミナーで柔術を教えたことを覚えているが、彼は本当に素晴らしい身体能力を持っていて、柔軟性に富んでおり、リーチをうまく使っていて、肉体的にも本当に素晴らしいスペックを持っていた。とても印象的な男だよ。最近、ふらっと通りすがりに挨拶して、すごくフレンドリーに接してくれた。私自身は彼と悪い経験をしたことがない。彼はいつも紳士的なんだ。一度だけ面白いことがあったのを覚えている」と、そのときのことを語る。
「彼はラシャド・エヴァンスと戦う準備をしていた。私はその時、あるアスリートと一緒に仕事をしていて、そのアスリートが私に『アームバーのやり方を教えてくれないか?』と聞き、ガードポジションからのアームバーを教えたんだ。その場にJJもいた。
ジョンはそのキャリアの中でテイクダウンされたことはほとんどないと思うし、彼がボトムポジションを取るのに費やした時間はとても少ない。ただ、ラシャド・エヴァンスとの試合は、長い間仲の良かった2人にとってかなり感情的な試合だった。彼らは間違いなく問題を抱えていた。だから彼は『よし、その方法を教えてくれ』と言ってきた。ジョン・ジョーンズは運動能力や才能に恵まれた人間だ。短期間のうちに、アームバーのポイントを習得した。そして『この動きで試合に勝つつもりだ』と言ってきた。いや、それは火曜日の夜だ。土曜日の夜には試合がある。私は、『ジョン、それはいい考えではない。新しい動きを取り入れるには時間が必要だ。ジョン、君は今までの人生でプルガードをしたことが無いだろう』と言った。彼は、『いや、僕はこれで試合に勝つ。絶対にやるんだ』と言うんだ。
試合に彼が出てきて、私はただ怯えながら試合を見ていたのを覚えている。ラウンドの終わりだったと思う。試合は残り15秒くらいしかなかったけど、彼はラシャドに跳びついたんだ。ジャンピングガードで。アームバーは出てこなかったが、でも、それがジョンだった。そのような自己信念は印象的だ」
ADCCやIBJJF世界ノーギ、EBIなど数多のグラップリング大会で優勝するなど、史上最高のグラップラーと呼ばれたゴードン・ライアンは、このジョン・ダナハー門下生だ。
そのゴードン・ライアンは、JJとも練習しており、“ボーンズ”の格闘センスを「彼の適応能力と変化する能力は本当に印象的だ」と評していたという。
「ライアンは『この男がチャンピオンになった理由がわかるよ。彼は何かを見せられたら、それに乗って、そこから即興でプレーするんだ。ルールに従うだけじゃない。何かを見せる。彼はそれを即興でやってのけるんだ。彼はとてもクリエイティブな人間だ』と言っていた」と、ダナハーは証言する。
続けて「ジョン・ジョーンズのことを叩く人たちが信じられないよ。彼は間抜けなところもあるけど、素晴らしいファイターだ。私たちはただ、彼のファイティングスキルについて話しているだけだ」と語った。
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選手として非常に長寿であること
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そしてハビブ・ヌルマゴメドフ。ロシア人史上初のUFC世界王者で、ダゲスタンからいまなお多くの有望な選手たちを輩出している。
そのヌルマゴメドフについてダナハーは、「最初の20試合は簡単な試合をして、タフな相手と戦うとカミソリのように接戦になるというようなことはなかった。彼は対戦相手が良くなるにつれて、“より支配的に”なっていった。だから、私は彼の能力を尊敬しているんだ」と評する。
3人のGOAT──ジョン・ジョーンズ、GSP、ハビブ・ヌルマゴメドフには共通点がある、とダナハーはいう。
「興味深いことに、この3人のファイトスタイルはほぼ似ていて、相手をテイクダウンさせることに重点を置いている。このことは、史上最強の3人がそのようなスタイルを持っていることを物語っている。そこには教訓がある。彼らは3人ともキャリアが非常に長く、大成功を収めた。彼らは選手として非常に長寿だった。どの選手にもCTE(慢性外傷性脳症)損傷は見られない。彼らは賢く戦術的な戦いをした。結果、彼らは比較的少ないダメージしか受けなかった。それは、効果的に距離を詰め、組み技で相手を下がらせ、トップポジションを取り、グラウンドで打撃を含むテクニックを駆使する能力を軸としたファイトスタイルが、いかに素晴らしいかを物語っている。非常に効果的な戦略だ」と、MMAにおけるグラップリングの重要性をダメージの点から説いている。
「この3人は常に史上最高の選手として私の票を集めるだろう。補償を受ける資格があるとすれば、それはあの男、JJだ。彼は長い間UFCの旗を背負ってきたしね」──2008年のプロMMAデビュー&オクタゴンデビューからUFC22勝(18フィニュシュ)1敗1NC。史上最年少王者ジョン・ジョーンズは、17年のMMAキャリアに幕を下ろした。