波乱万丈な人生を歩んできたサムサンがRISEのリングに上がる(C)RISE
2024年7月26日(金)東京・後楽園ホール『RISE 180』にて、Super Fight!のアトム級(-46kg)3分3R延長1Rで、RISE QUEENアトム級王者・宮﨑小雪(TRY HARD GYM)と対戦する元プロボクシングWBC女子世界ライトフライ級王者サムサン・C2M MUAYTHAI&FITNESS(タイ/C2M MUAYTHAI)のインタビューが主催者を通じて届いた。
サムサンは、16歳の時に麻薬密売により逮捕され、懲役10年の刑を受け服役。収監された刑務所の更生プログラムの一環としてボクシングを始め2005年11月に更生施設でプロデビュー。2007年にタイ初のWBC女子世界王者(ライトフライ級)になった事により、刑期が短縮され釈放されたという経歴を持つ。ボクシングではWBC王座のほか、WIBAインターナショナルフライ級王座、WIBA世界ミニマム級王座、ABCO女子ミニマム級王座を獲得し、プロボクシング戦績は43勝(25KO)6敗。リングネームはサムソン・トー・ブアマッド。その半生を描いた映画が2本制作されている。
2006年5月に刑務所内での試合でWBC女子世界ストロー級王者・菊池奈々子に挑戦したが判定で敗れ、2007年4月に同じく刑務所内で行われたWBC女子世界ライトフライ級王座決定戦で宮尾彩香を判定に破り王座に就いた。2007年8月にはアンリ(判定勝ち)、同年11月には小関桃(TKO勝ち)、2008年には江畑佳代子(判定勝ち)に勝利して防衛に成功。2024年6月10日には天海ツナミとWBC女子ミニマム級シルバー王座決定戦を争ったばかり(判定負け)で、天海に敗れるまでも3連続TKO勝利していたプロボクサーだ。
心配は全くありません。自信があります
――サムサン選手はいつから来日しているんですか?
「2024年6月12日からです」
――ボクシングの試合があったのはいつでしたか?
「6月10日にあって、その2日後に日本に来ました」
――試合はどこでやったんですか?
「バンコクです」
――日本人の選手と戦ったんですか?
「そうです。天海ツナミ選手と戦いました」
――その試合をしたのはいつぶりだったんですか?
「4年ぶりくらいです」
――その試合はどうでしたか?
「前回は判定で負けてしまいましたが、今まで試合をしてKO負けをしたことがないです」
――サムサン選手の昔のことを伺いたいのですが、刑務所に入る前はどういう生活をしていたんですか?
「私は薬物を売ったりして生活をしていました」
――それは親や家が貧しくて生活が苦しかったからですか?
「家族にはお金がありました。だけど状況が悪くなって倒産して、お母さんも病気になって私は家族のためにお金を稼ぐと決めました」
――大変でしたね。
「とても辛かったです」
――ご飯もあまり食べられない状況でしたか?_
「薬物を売る前は1日に1回しかご飯を食べることができませんでした。お金が無くて大きなお寺のお坊さんから残り物を貰いに行くこともありました」
――逮捕されて刑務所の中に入って、そこでボクシングを始めたんですか?
「刑務所の中では毎日喧嘩をやっていて結構やんちゃだったので、刑務所内の更生プログラムでボクシングを始めました。正直に言うとボクシングは好きではなかったです」
――好きではなかったけど、ボクシングを続けた理由はなんですか?
「刑務所では最低3ヶ月は更生プログラムでボクシングをしないといけなくて、もしプロボクサーになるなら他の仕事をしなくていいので続けていました。他の仕事はもっと大変なので、それでボクシングのプロになろうと決めました」
――ボクシングを選んで、続けた結果楽しくなってきたんですか?
「本当はまだ好きではないです(笑)。でも、『もし世界チャンピオンのWBCのベルトを獲ったら家に帰れるよ』って言われて、試合に出続けました」
――それで最初は10年刑務所にいなくてはいけなかったのが、8年に刑期が短くなった訳ですね。
「最初に裁判所で判決が出た時は刑期33年でした。当時はまだ16歳だったという事と、自分がやったことが悪い事だと認めボクシングを始めたので、10年にしてくれました」
――WBCのチャンピオンになって、2007年に釈放されたという事ですね。
「チャンピオンになって10年刑務所にいなければいけなかったのが、8年になりました」
――刑務所を出た後もボクシングは続けたんですか?
「8年で刑務所を出れたけど、残りの2年は完全に釈放された訳ではなくて、刑務所からのチェックを受けなければいけませんでした。だから試合は続けなければいけませんでした」
――サムサン選手が刑務所に入ってボクシングで活躍している頃、ご両親はどうされていたんですか?
「亡くなっていました」
――それはいつ頃だったんですか?
「刑務所に入って2ヶ月後くらいに両親とも亡くなっていました。そこから20年ぐらい1人です」
――ご両親が亡くなっていることを知ったタイミングはいつでしたか?
「友達が刑務所に会いに来た時に知りました。とても悲しかったです」
――以前は刑務所の中でボクシングを始めて、刑期を短くするために戦っていたと思いますが、今は試合をする時はどういう気持ちで戦っているんですか?
「仕事だと思って戦っています」
――では今回はその“お仕事”をやれる自信はありますか?
「できるかできないかは分からないけど、いつでも準備しています。毎回全力で頑張っています」
――RISEのチャンピオンを倒せばいっぱいお金をもらえますよ。
「勝っても負けてもお金に関しては大丈夫です。とりあえず自分自身のベストを尽くします」
――タイで6月にツナミ選手と試合をしていましたが、その前はどんな生活をされていたんですか?
「自分のベーカリーショップをやっていました」
――パン屋さんをやっていたんですね。それは今もタイでお店を持っているんですか?
「コロナの影響でお店は閉めました」
――そういった状況もあって、また試合に出ようと決めたんですか?
「それも関係ありますね」
――今までボクシングだと日本人選手とたくさん試合はしてきていると思いますが、日本人ファイターにはどういう印象を持っていますか?
「日本人とはこれまでに6人くらいと戦っています。日本人はフットワークがとても早く、上手な印象があるけど私の方が技術は上です」
――宮﨑選手も同じようにステップワークを使った技術のある選手ですが、どう戦うかイメージはできていますか?
「トレーナーと一緒にどう倒すかプランを練っています。また試合の時に戦いながら決めていきます」
――宮﨑選手のスピードとテクニックを上回るパンチを持っている自信はありますか?
「怖いことは一切ありません。あとは試合までお楽しみにしてください」
――相手を倒す感覚は刑務所の中で覚えましたか?
「刑務所の中は毎日喧嘩をしなければいけなくて、ノックアウトしないと自分が生き残れない生活でした」
――ノックアウトする時の得意技はなんですか?
「KOを一番できた技はボディーとフックです。もしタイミングが来たら出したいと思います」
――対戦相手の宮﨑小雪選手はRISEのチャンピオンですが、チャンピオンベルトは欲しいですか?
「心の中ではとても欲しいと思っていますが、まずは今回試合に出れることにとても感謝しています」
――ムエタイの練習は今までもしていたんですか?
「ボクシングの時は普段は全然していなくて、ムエタイの試合がある時のみ練習していました。だけど今はムエタイのジムでトレーナーをしているので、ムエタイの技術は持っています」
――RISEに出る上で、キックボクシングに不安はないですか?
「心配は全くありません。自信があります」
――刑務所に入る前も喧嘩はしていたんですか?
「刑務所の外にいた時は薬物を売っていただけで、喧嘩はしていないです(笑)」
――最後に日本のファンにメッセージをお願いします。
「これからも日本に住むつもりなので、日本人のファンも私のことを応援してもらえるように頑張ります。これからもよろしくお願いします。試合の日を楽しみにしてください」