第64代横綱でK-1やHERO'Sなどでも活躍した曙太郎が2024年4月11日(木)、心不全で亡くなっていたことが分かった。54歳だった。
同日には2024年4月29日(月・祝)東京・有明アリーナ『RIZIN.46』の記者会見が行われ、会見の冒頭で榊原信行RIZIN CEOは追悼の意を表した。
「曙太郎さんがお亡くなりになったということでその訃報に触れて、本当に日本の格闘技界にとってとても大きな貢献を果たしてくれた曙さん。2015年のRIZIN旗揚げの時にボブ・サップとの再戦をシュートボクシングルールで戦ってくれたことを今でも記憶して、旗揚げの時に曙に出てもらえたことを光栄に誇りに思っています。彼が亡くなったことに心からご冥福をお祈りしたいと思います。残された我々日本の格闘技界がさらに進化を続けられるように精進したいと思っています」
会見後の囲み取材でも訃報に触れ、「ショックです。RIZINの旗揚げ戦にも気持ちよく参戦してくれて、大晦日と言えば曙、それもまたRIZINの中でも示してくれて。病気を患らわれてしまった後も凄く親身に大砂嵐のことを心配してくれたり、体調さえ回復すれば大砂嵐の試合は車椅子でも見に行きたいというくらい格闘技に愛がありました。僕らはPRIDEの時代で言うとハッスルで凄くお世話になったので、その当時のことを走馬灯のように思い出してしまいます。密葬ということですが手を合わせに行きたい思いです」と故人を振り返る。
【写真】曙vs.ボブ・サップは一般層を格闘技へ目を向けさせた「本当におおらかな人でした。交渉の中でもオープンマインドで来る者に対してウェルカムで受け入れてくれる方だったので。だからいろいろなチャレンジを、相撲界という歴史のある世界の中で横綱まで行きながらもK-1でボブ・サップとやる決断をした時も出来たのだと思います。偉ぶるところもないし、常い明るく前向きな人で僕らも楽しく仕事ができました」
2003年大晦日に曙がボブ・サップとK-1で対戦した時、裏番組ではPRIDEも放映されており商売敵だったのでは、と聞かれると「僕らの商売敵は谷川貞治だったので。でも敵ながらあっぱれですよ。谷川さんや石井館長が曙さんを口説いて、地上波で裏表だった時に曙をボブ・サップの前に立たせるという。僕はプロモーターとしてジェラシーを感じつつも、“やるな”と一本とられたなって感じでした。曙さんに対しては何もないです。そこに僕らもアプローチする発想がなかったのでやられたなって感じでした」と話した。