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インタビュー

【ONE】『格闘代理戦争』から6.15 ONEデビュー、平田樹「今まで日本の女子格にいなかったような選手になりたい」

2019/06/08 09:06
【ONE】『格闘代理戦争』から6.15 ONEデビュー、平田樹「今まで日本の女子格にいなかったような選手になりたい」

(C)GONG KAKUTOGI/ONE Championship/AbemaTV

6月15日(土)、中国・上海の宝山スポーツセンターで開催される「ONE:LEGENDARY QUEST」に、AbemaTVの格闘ドキュメンタリー番組『格闘代理戦争3rdシーズン』で優勝した平田樹(K-Clann)が出場し、プロMMAデビュー戦を迎える。

異例のキャリアップを遂げた19歳の平田は、名門「春日柔道クラブ」で柔道を始め、強豪校「創志学園」で高校総体に出場するなど活躍。高校卒業後にMMAを始め、『格闘代理戦争』でパク・ポヒョン、MIO、古瀬美月を破り、ONEとの契約を果たした。

平田のONEデビュー戦の対戦相手はアンジェリー・サバナル(フィリピン)。MMA1勝1敗ながら、2018年3月にはリカ・イシゲに判定勝ちしている29歳のストライカーだ。

いよいよ試合を迎える平田に、これまでの軌跡を、そして未来を訊いた。

柔道でスイッチが入ったら止まらず殴ってしまいそうで、総合をやろうと決めました

――いま、撮影をしている間、創志学園時代の動画を見ていました。胸を合わせてというより、引き手、釣り手を持ったら、多少強引でも……。

「はい。持てたら投げに行ってましたね」

――そして、投げても極めに行っていた。

「ずっと寝技が好きで、柔道のときから本当に試合を決めるのは寝技だったんです」

――出身は東京ですよね。柔道を始めた「春日柔道クラブ」といえば名門で、ベイカー茉秋選手やウルフ・アロン選手が通っていたことで有名ですが、格闘家にも中村K太郎選手や石渡伸太郎選手、安藤晃司選手も同クラブの出身です。

「そうですよね。私はどちらかというとお兄ちゃんの影響で通うようになって、中学、高校も2人ともずっと寮住まいで柔道をやっていました」

――小学5年で全国大会3位、中学でも全国大会に出られてますね。なぜ寝技が好きになったんでしょう。

「お兄ちゃんも寝技が好きで、お兄ちゃんから教わることが多くて、たぶんその影響です。柔道時代は“三角”をよく使っていました」

――それはいわゆる柔道での“三角”でしょうか。オモプラッタのように腕を巻き込んだり……。

「あっ、そうです。三角で思いっきり腕を極めて抑え込むというのをずっと練習していました。柔道だと相手が四つん這いになったりするので、そこから返すって感じです」

――いまのMMAでは、三角絞めの動きはそれほど見せていないですよね。

「柔道と違う形で、MMAでは寝技で下になることがあんまりなかったですし、下になったらちょっとパウンドがやばいので」

――そうですね。やはり平田選手は投げて上からしっかり抑え込んで極めるイメージです。高校時代は、岡山の強豪校「創志学園」で高校総体にも出場しました。岡山で寝技というと金光弥一兵衛など、寝技が強いイメージがあります。創志学園でもそういう傾向はあったのでしょうか。

「今もそうだと思います。練習でもやっぱり寝技の補強が多かったですし、寝技もけっこうやりました」

――高校のFacebookに載っていた写真を見ると、今と違ってふっくらとしていて。柔道でも52キロ級でしたよね?

「このときはたぶん、60キロくらいありました(苦笑)」

――当時の記録では、同世代に武田亮子、富沢佳奈といったそうそうたるメンバーのなかに平田樹という名前を見ることができます。富沢選手とは……。

「練習でやったことがあって、でも全然抜群に強かったです。パワーと投げ技のタイミングが凄くて。やっぱり試合では寝技っていうタイミングがないので……立ち技で決める人が多かったです」

――全国高校選手権で富沢佳奈選手とは対戦予定でしたが、不戦勝になっていました。あれは……。

「あれは、自分が足を怪我をしていて。出ようと思っていたんですけど……でも、そのとき3回目の手術前で、超悩んだ末にやめて」

――高校の競技生活でもそんな大変なことがあったんですね。

「ずっと手術でした。本当に怪我、怪我と続いて……。1年くらいスポーツ復帰ができないときもあって、それが一番キツかったですね。中1で手術をして、中3で手術をして、高校3年生で手術をして。中学のときは全然、練習もできずにいました。高校でも怪我をしていて減量をするのはあまり良くないといわれていて、ずっと57kgにしていました。ただ、ウエイトトレーニングはやってもよかったので、上半身を鍛えたりしていました」

――それでふっくらしていた。そういう中で総合格闘技、MMAに目が向いたのはどんな気持ちからでしたか。

「柔道だとルールがあるじゃないですか。礼儀は“なっていた”と思うんですけど、負けん気が強いので、本当に人を殴ってしまうんじゃないかと思って。自分でも練習中とかに、1回スイッチが入ったら本当に止まらないという感じだったんです。これはもう柔道じゃないなと思って、高校卒業してから総合をやろうと決めていて、今に至ります」

――柔道でも激しい組み手争いのときは、殴り合っているような状態になることはあるかと思います。そんなときに、だったら殴りありの方がいいと?

「思いました。ルールを変えたほうがいいんじゃないかと思って(苦笑)」

「やる気ないんだったらやめちまえ」って横田さんに怒られて、そこから本当に腹をくくりました

――でも、ところが道衣がなくて、掴まずに殴るというのは大変です。

「全然違います。やっぱり構えも逆だったので。柔道ではサウスポー構え、右組みなので右足が前でした。でも打撃ありだと自分は今、オーソ(ドックスス)なので左足が前になります。最初はその違いが一番大変でした。いつの間にか真正面を向いちゃったり」

――足が揃ってしまって危険な状態に……。

「はい。それが一番大変でした。でも今は右組みも活かしてスイッチもして両方の構えで戦えるようにしたいと思っています」

――MMAをやろうとして、一番最初はどこで始めたんですか?

「最初からK-Clannです。横田(一則)さんのところで始めました」

――横田代表が柔道出身だったから、自身が通った道でもあった。

「はい。横田さんも柔道ベースなので一緒なんです。投げ方といい、打撃といい、組みも。『俺と全部、一緒だから』といって教えてくれました」

――『格闘代理戦争3rdシーズン』に出ることになったのは……。

「最初はお父さんが番組をずっと見ていて、青木真也さんが最後に言ったじゃないですか、『次は女子だ』って。その瞬間に自分、お父さんに言われたんです。『出ろ』って。いや、今言われても無理だよと思って(苦笑)。ずっと本当に出る気、なかったんです。しかも、格闘技も本当始めて間もないというか、バイトをしながらちょっとやっていたという感じだったので『出ても負けるやん』みたいな感じでした」

――片手間だったから、そんな乗り気ではなかったんですね。

「まったく乗り気じゃなくて断っていたんですけど、出稽古に行った際に、SNSか何かで見てくれた人がいて、それで、『この子どうなの?』みたいに声をかけてもらって、出ざるを得なくなって。で、腹をくくって『やるか』と」

――腹をくくるまではどんな状態だったのですか。

「本当にバイトが楽しくて(苦笑)。バイトをしながら格闘技をちょっとやって、みたいな状態だったんです。だから最初は全然練習も行っていなかったんです」

――バイトが楽しい?

「自分、寮生活でずっと東京にいなかったので、楽しい時期を東京で過ごしていなかったんです。18歳で帰ってきて、今だなと思って(笑)。渋谷にバイト先を決めて、わざわざ亀有から40分くらいかけて通ってました。楽しいと思って(笑)」

――解き放たれて、まずはバイトデビューした(笑)。

「今だなと。全然練習に身が入ってなかったんです」

――どこで腹を決めたんですか。

「試合が9月からだったんですけど、バイトを辞めたのが7月の終わりか8月の頭だったので、そこから格闘技一本で頑張ろうと思って……。一回、横田さんにすごい怒られたんです。ランニングをしているときに、ダラけてふてくされてたんだと思うんですけど」

――そんなにやりたくないのに、という態度だった。

「もうめっちゃ怒られて、『やる気ないんだったらやめちまえ』って。すごい怒られて、……そこからですね」

――怒るということは、それだけ平田選手のことを考えていた。ちゃんと言ってくれるんですね、横田代表はそういうことを。

「すごい言ってくれます。自分もこれじゃあ駄目だと思って、そこから本当に腹をくくって取り組みました」

――まさしく『格闘代理戦争』が人生を変えるきっかけになった。でもそこから先は自分次第です。

「打撃とかも覚えるのが大変で、本当に朝から晩までジムにいるという感じになりました。家にいるよりジムにいる時間のほうが長くて」

――平田選手の打撃の姿勢を見るとしっかり上体が立っていますね。柔道出身だとどうしても前傾になる選手も少なくないです。

「それはたぶん、横田さんの教えが一番いいと思うので。避けるのも打つのも上手い。見て覚えて聞いて覚えて。本当に横田さんの指示どおりです」

――なるほど。マッハさんではなくて(笑)。横田さんのアームロックとかも入り方を真似して。

「もう全部、横田さんのコピーという感じです」

――腹を決めて『格闘代理戦争』で勝って、でもトライアウトで落選しました。

「びっくりしました。結果発表まで20分くらい間があったんです。みんな『確実だな』って言っていて。それで『集まってください』とカメラが入って。そうしたら違くて、『えっ?』みたいな。横田さんも怒って『帰んぞ』って。最初『マジで?』と思ってびっくりしたんですけど、でもその瞬間、もう『来週の試合出るから』みたいに言われて、DEEP JEWELSのアマチュアの試合に」

――第1回目の大会でしたね。あれは横田代表に言われたんですね。

「そうです。『今から電話してお願いするから』って。自分も『はい』って答えて出させてもらいました」

――それで試合経験も積んで。

「そうですね。ずっと試合という感じでした」

――アマチュアでの活躍もあり、もう1度チャンスがきました。そのときは今度は決めてやるぞと?

「思いましたね。『なんで私なんだろう』と思った反面、『優勝するしかないな』って」

――1回戦でパク・ポヒョン選手に柔道技を活かして競り勝ち、MIO戦、古瀬戦のときにはダブルレッグにも入っていました。

「1回戦でけっこう投げまくったので。その次からタックルの練習ばかりしていました。試しにやってみたらバッチリ入って」

――と同時に、あの試合では引き手を掴んだ投げですっぽ抜けた場面もありました。

「あの投げだとバックにつかれるから気を付けろと言われていたんですが、案の定あんな感じになってしまって(苦笑)」

――MMAでも引き手・釣り手を持てれば、という感じですか?

「ここ(奥襟)も抱えて、ほんとうは首じゃなくて脇をつけたいんですけど、それができたら完璧です、投げるのには」

――バックを取られないように。

「はい。首投げ、袈裟の場合でもバックに回られないように横田さんに言われて、左右両方でやれるようにしています」

――なるほど。古瀬美月選手との試合でも下からの仕掛けを潰して、アメリカーナを極めて一本勝ちしました。優勝が決まったときはどんな気持ちでしたか?

「どんな気持ちだったんだろう……。でも“勝つ前提”だったので。負けることは考えていなかったので、勝ってなんて言おうかなと考えていました。考えていた割に、全然よくわからないことを言っていたと思うんですけど(苦笑)、勝ったときは本当にうれしかったですね」

自分が一発目しっかり勝って、いい流れを作りたい

――優勝後、「やっと始まった」という言葉と「もっとできるんだな」という言葉が印象的でした。まさしく格闘技をもっとできる環境を作って、シンガポールのEvolveジムにも出稽古に行きましたね。トライアウトで受かった海外選手の力強さや技術に触れて「頑張ることがいっぱいある」と言っていましたが、青木選手の指導を受ける機会もあったそうですね。

「一緒にスパーをグラップリングでやってもらって、もう全部修正されました。すごかったですね。細かい技術も」

――身体の使い方、手足の置き方、組み方から?

「やりました。肩固めとかも手の組み方の違い、力の入れ方や体重移動とかで全然違いました」

――さきほど、『格闘代理戦争』では勝つ前提だったと。今回のONEも勝つ前提でいますか。

「勝つ前提です、バッチリ」

――でもその勝つ前提の相手、アンジェリー・サバナルはサウスポーで、そして日本人選手にないフィジカルを感じました。

「そうですね。打撃の選手でパワーもある。そこをどううまく戦って極められるかというところですね。フィジカルは、世田谷の石井道場で石井(基善)代表からパーソナルのフィジカルトレーニングを受けていて、実戦に必要なパワーをつけてもらっています。打撃は、パウンドも含めて、打撃の練習をすごくやっていて、自分から出ていけるようにバチバチにやっています」

――サウスポー対策も横田代表と?

「はい、横田さんと全部。オーソからだと遠いので入り方も含めて一から教わってきました」

――K-Clannに所属の女子選手は?

「女子は自分一人で、出稽古に来てもらったり、自分が行ったりしています」

――パラエストラ松戸では浅倉カンナ選手とも練習したそうですね。

「はい。横田さんが現役の時によくパラエストラ松戸に練習に行っていた縁で紹介してもらって。出稽古の内容を横田さんがビデオに撮ってくれて、持ち帰って反省点を確認したりしてきました。それに、カンナ選手がサウスポー構えで、次の相手もサウスポーなので、いい練習をたくさんさせてもらっています」

――日本の女子のトップ選手と肌を合わせてどう感じましたか。

「全然強いですね、やっぱり。日本のトップ選手なので。吸収することがたくさんあります。そこで一緒に練習させてもらっているということもすごいことだと思うし」

――この形ならなんとか自分のペースで動けるな、という感触もありますか。

「そうですね。相手のペースに合わせてはいけないと思うので。次の試合でも自分のペースで試合を運んで、チャンスがあったら寝技でも立ち技でも決めたい。どっちでもいけるようにしたいと思っています」

――サバナルのプリシーラ・ガオール戦を観るとサウスポーからの前手の右ジャブで、ガオールが顎を上げさせられるくらい当てていました。あまりもらいたくないですね。

「もらったとしてもしっかり返せるように、もらうだけじゃなくて返せるくらいを狙っています」

――そして、打撃中心の選手ですが、自らバックに行くシーンもありました。

「チョークを狙っているときもありますね。でも立ってからのバックですよね。四つん這いじゃなくて、立って押し込んで回ってバックみたいな感じだったので、その押し込むときに後ろにならないで、自分が押し込んで極められたらなと思います」

――その際でも負けたくないと。今回、『格闘代理戦争』からONE本戦デビューという、異色の形でプロデビューとなります。どんなファイターになっていきたいと思っていますか。

「今まで日本の女子格でいなかったような選手になるのが一番の目標なので、見たことがないようなファイターになりたいです。こんなファイトスタイルなのか、と驚かれるような。今までの日本の女子格闘技の選手とは変わった、喧嘩腰のバチバチ感でやりたいです」

――ロンダ・ラウジーがでてきたときの負けん気の強さのような。

「あのオーラといい、圧倒的な強さといい、そこが一番の目標です」

――ONEという舞台についてはどんな印象を持っていますか。

「世界でもトップのレベルなので、なめていたらボコボコにされるし、すぐ対策もされると思うので、やっぱり勝って盛り上げるしかないですね。ずっと勝ち続けたい。勝ち星を積んでチャンピオンになりたいです。アンジェラ・リー選手はこの歳でもうベルトを獲っているので、私もそこに近づけるよう頑張りたいです」

――6月15日の上海大会には『格闘代理戦争2ndシーズン』に出ていたユン・チャンミン選手も出場します。

「チャンミン選手から『一緒の日だよ、頑張ろうね』ってメッセージが来て、『頑張ります!』って返して。チャンミン選手の試合順が自分の次なので、しっかり流れをつくらないと。チャンミン選手、日本大会でもしっかり勝っていた(※バラ・シェティにRNCで一本勝ち)ので、やっぱり自分が一発目しっかり勝たないとなと思っています」

――ところで、『格闘代理戦争』に出るきっかけとなったお父様は、いまの状況にどんな反応ですか。

「いまも、いつも出稽古とかに連れて行ってくれるのはお父さんなんですよ。ジムの送り迎えも全部お父さんで。すごいサポートをしてもらっています。ごはんも減量食とかを考えてくれます」

――大会はAbemaTVで生中継されますが、お父様は今回の試合は?

「現地に来ます。目の前で勝ちたいです!」

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