名高が返上したWBCムエタイ世界王座獲りに臨む竜哉
2019年6月1日(土)神奈川・横浜文化体育館で開催されるムエタイのビッグマッチ『BOM SEASON II vol.2-The Battle Of Muaythai』。
今大会でWBCムエタイ世界ミニフライ級王座決定戦に臨む、WMC世界ピン級王者&ムエサイアム・イーサン・ミニフライ級王者の竜哉・エイワスポーツジム(エイワスポーツ)は、日本人初のルンピニー&ラジャダムナン2大殿堂スタジアム同時制覇を成し遂げた名高・エイワスポーツジムに続く存在として、朝陽・PKセンチャイムエタイジムとともに期待されている18歳。
名高が返上したWBCムエタイ世界王座を手にすることができるか。王座獲得に成功すれば、日本人で5人目のWBCムエタイ世界王者となる。
中1で単身タイへ渡り、ジムに住み込んでムエタイを習う
――竜哉選手のお兄さん・奥脇一哉、お姉さん・奈々選手とあわせて「奥脇三兄弟」は、アマチュアキックボクシング界での活躍が有名です。
「実は、キックボクシングをしていない長男がいて四兄弟なんです」
――プロキャリアのほとんどをタイで戦い、日本におけるプロデビュー戦でいきなりWMC世界ピン級王座決定戦に勝利して世界王者となった竜哉選手の経歴は異例なだけにここで詳しく紹介させてください。キックボクシングとの出会いは?
「小4です。兄の一哉が16歳ではじめて半年後でした」
――それ以前、何か頑張られていたことは?
「ずっとサッカーをしていました。サッカーは、かなり本気で中2までムエタイと平行しながらしていました」
「兄が中学卒業をして『何か夢を追いかけてほしい』と薦めたのがムエタイで、近所にあったジムに入りました。自分も同じようにサッカーとは別に夢中になれるものを求めたのだと思います」
――すると、試合をする時期も早かった?
「入会して1カ月でアマ大会に出ました」
――1カ月とはあまりにも極端です。それ以前に空手道やボクシングなどの格闘技歴があったわけではなく?
「はい、サッカーしかしてこなかった中、挑戦してみましたが、ダウンを取られて負けてしまいました」
――当然だと思います。そこで数か月基礎を固めて2戦目に臨んだとか?
「いや、またすぐに出場しました。1カ月も開いていなかったと思います。そこでも負けてしまって悔しくて」
――なんと無茶な。初勝利は?
「その次の3戦目です。ヒザ蹴りの連打でKO勝ちできました」
――かなり過激な選手スタートです。その後の活躍は?
「9本のベルトを巻きました。全部で100戦くらいしています」
――そんなアマキャリア100戦以上を持つスーパーファイターは、那須川天心選手をはじめ、竜哉選手の年代に多くおられますが、同じ頃に大会に出場していて、今もプロで活躍されている選手は?
「仲間の名高(名高・エイワスポーツジム)と朝陽(朝陽・PKセンチャイムエタイジム)、安本晴翔選手(INNOVATIONスーパーバンタム級王者)、田丸辰選手(RISEスーパーフライ級王者)とか」
――現在、18歳ながら立派にプロとして活躍されていますが、それを志したのはいつ頃から?
「中学でサッカー部をやめた頃には、プロになろうと思っていました」
――タイと日本を盛んに行き来されていますが、初渡タイは?
「小6の家族旅行でした。ルンピニースタジアムで見たムエタイが凄くって『自分もここに出てチャンピオンになりたい!』と思いました」
――タイで初練習、初試合は?
「中1の夏休みです。バンコクではなく、東北のウボンにあるシットヌンウボン(90年代の名選手、ヌンウボンのジム)で」
――最近は、外国人を積極的に受け入れ、設備の整ったキャンプを設けるムエタイジムも多くなってきましたが、ウボンのジムとなると日本人はおろか、外国人が皆無なのではないでしょうか?
「はい、僕一人でした」
――言葉は?
「まわりはタイ人だけで英語もできないし、タイ語の本で指差しながら、身振り手振りでコミュニケーションをとるしかありません」
――ご兄弟も一緒ではなかった?
「はい、独りです」
――中1の少年にとってあまりにも強烈な環境では?
「まわりの選手たちは、皆、優しくて、日本では教わったことのないヒジ打ちなどのテクニックをじっくりと学べたり、とても充実していました。Wi-Fiもあったので、携帯で家族と連絡も頻繁に取れましたし、悪い思い出はありません」
肩書は『キックボクサー』ではなく『ムエタイ選手』
――ムエタイ試合のデビューは?
「中1でした。ウボンのスタジアムで」
――ムエタイにアマチュアはあまりないので、子供でもプロとして活躍しているケースが多いですが。
「自分のデビュー戦も5R、ヒジ打ちあり、首相撲無制限の防具なしで」
――それでは、実質のプロデビューですね。試合結果は?
「4ラウンドKO勝ちできました」
――それからタイには頻繁に行かれた?
「中学時代は、夏休みは全部タイです。高校は、通信制に入学したのですが、1年の半分はタイでした。ジムもその頃には、バンコクのヌンポンテープジムに移って練習と試合を繰り返しました」
――昨年4月8日、BOMのディファ有明興行で世界戦デビューというのは、あまりにも無茶と受け取っていましたが、それだけの下地がなされていたのですね。
「日本のアマキックで100戦、タイで20戦くらいしているので、自分が新人だとはあまり思っていません」
――戦績の詳細は?
「すみません、あまり覚えていません。ムエタイは、ジムがラジャ系なので、主にラジャダムナンスタジアムで試合をしてきました」
――日本戦績は?
「4戦3勝1敗です」
――1敗はどこで?
「昨年8月29日、スッグワンキントーン(在日ムエタイジム「ノーナクシン東京」主催のムエタイ興行)でラジャのランカー、ペッデート・ボーサッパッパイに1ポイント差で判定負けしました」
――ペッデートとは、次の対戦相手?
「はい」
――つまりは、6月1日の試合、WBCムエタイ世界ミニフライ級王座決定戦であると同時にリベンジマッチでもあるわけですね?
「はい、ペッデートは、昇り調子で強くなっていますね。ドンドン前に出てくる気持ちの強いファイターです」
――そんな強敵にどんな試合でどう勝ちますか?
「全局面で圧倒します!」
――試合を初めて見る人に説明するとして、竜哉選手はどんなキックボクサー?
「相手が前進してきても一歩も下がらないムエマッド(タイ語:ファイタータイプ)です。パンチには自信があります! 絶対に気持ちは折れないので、そんな自分が前にでるところに注目していただきたいです! それと……」
――それと?
「自分はムエタイとキックボクシングは、全く別物だと思っているので、肩書は『キックボクサー』ではなく『ムエタイ選手』としていただきたいです」
――キックボクシングとムエタイは別物ですか?
「はい。ラジャダムナンやルンピニーに一番近い日本のリングがBOMで、BOMはムエタイです。その他、ヒジ打ちがなかったり、首相撲が禁止されているルールを含めてキックボクシングと言うのかもしれませんが、ムエタイとははっきり区別していただきたいです」
――竜哉選手の言われるムエタイの試合しか出たくない?
「どんなルールでも一番になりたいので、声がかかれば、別競技としてキックボクシングに挑戦はします。今の体重(40kg台)では、日本で選手がおらず試合が組みにくいこともわかっているので、早く身体を大きくして、フライ級などで日本人選手のトップと戦いたいです!」
――若くして世界王者となりましたが貪欲ですね。
「今、日本で所属しているエイワスポーツジムには、充実した練習環境があり、仕事もジュニアクラスの指導員として、ムエタイだけで生活させていただいています。これだけムエタイ一本に集中させていただいているのだから、負けるわけにはいきません。兄弟ともども頑張りますので、応援、よろしくお願いいたします!」
(取材・文:BOM広報部)
リングネーム:竜哉・エイワスポーツジム
フリガナ:リュウヤ・エイワスポーツジム
所属:エイワスポーツジム
生年月日:2000年8月26日(18歳)
出身地;神奈川県横浜市
身長:160cm
戦績:59戦33勝(17KO)23敗3分
ステータス:WMC世界ピン級王者、ムエサイアム・イーサン・ミニフライ級王者、WM
O47k級王者