重量級ならではのパワフルな突きとローキックを得意とし、初期全日本ウェイト制空手道選手権大会でトップクラスとして活躍した西山
極真会館大阪西支部・西山芳隆支部長が2021年7月26日(月)19時38分に永眠した。56歳だった。かねてより病気療養中だったという。
西山支部長は1965年5月9日、兵庫県尼崎市生まれ。中学時代に柔道を学んで初段を獲得した後、高校入学を機に極真会館兵庫支部尼崎道場に入門。第2回・第3回全世界空手道選手権優勝の中村誠の内弟子となり、現役時代は180cm、110kgの大きな体格を武器に活躍。“中村誠二世”や“浪速の若大将”の異名を取った。
1984年の第1回全日本ウェイト制大会と翌年の第2回大会で共に重量級準優勝、その翌年の第3回大会では重量級初優勝を飾った。また、1987年に行われた第4回世界大会に日本代表として出場し、5回戦に進出した(5回戦で宿敵・七戸康博との日本人対決に敗れる)。
現役引退後は社会人となり、しばらく組織を離れていたが2003年5月に復帰し、大阪西支部の支部長として後進の育成と極真空手の普及発展に尽力した。
(写真)第4回全世界大会に日本代表として出場し、5回戦で宿敵・七戸康博(右)との日本人対決で敗退した
また、シュートボクシングのエースとして世界の強豪と戦い、S-cup初代世界王者となった吉鷹弘の極真空手時代の先輩でもある。
吉鷹は「西山先輩とは凄く仲が良かったんですよ。僕と西山先輩は、柔道をやっていた時に同じ相手に負けているんです。岡本という全国でベスト8まで行った選手だったんですけれど、それでたまたま話が合いました。西山先輩のローキックとボディブローは一番効きましたね。だから日本人選手のヒザ蹴りなんか、それに比べたら全然効きませんよ。西山先輩の下突きもほんま効きました。でも僕は1回も倒れませんでしたよ。僕だけですよ、あの下突きをもらって倒れなかったのは。あの経験が今の僕を支えてくれるのでしょう」と、現役時代に西山支部長との思い出を語っていた。
リングネームの“吉鷹”は西山“芳隆”にあやかって付けた意味もあったという。