ボクシングと同じリングで勝ち名乗りを受ける沢村
「真空飛びヒザ蹴り」で一世を風靡、“キックの鬼”としても知られる元キックボクシング界のスーパースター・沢村忠が肺がんのため2021年3月26日に死去していた。78歳だった。
(写真)沢村の定位置とも言える赤コーナーから入場
日本中にキックボクシングブームを巻き起こした沢村の偉業は数多くあるが、その中でも特筆すべきことは史上初のボクシング興行内でのキックボクシングの試合を実現させたことだ。当時からボクシング興行内で他の格闘技の試合が行われることは異例中の異例。
1976年1月12日、東京・後楽園ホール。この日、初めてボクシングとキックボクシングの合同興行が入れ替え無しの二部制で行われた。第二部のメインイベントは、WBA世界ジュニアライト級(現スーパーフェザー級)タイトルマッチ。王者ベン・ビラフロア(フィリピン)に“和製クレイ”の異名を持った柏葉守人(野口ジム)が挑戦(柏葉が13R KO負け)。
(写真)ハイキックでダウンを奪った後、飛び前蹴りを決めた。テパリットは前へ崩れ落ちるように倒れた
第一部のメインで、東洋ライト級王者・沢村忠(目黒ジム)vs同級3位テパリット・ルークパンチャマ(タイ)のノンタイトル戦3分5Rが組まれたのである。
試合は、左ハイキックでダウンを奪った沢村が、、カウント9で立ち上がったテパリットに飛び前蹴りを決め、4R1分51秒、KO勝ち。メインの世界タイトルマッチへつなげた。目黒ジムの母体である野口ジム主催とはいえ、ボクシングの世界タイトルマッチ前にキックボクシングの試合が行われるという、沢村の人気が当時いかに絶大であったかを象徴するエピソードである。