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コラム

【1997年6月の格闘技】武蔵のK-1 JAPAN GP出場権はく奪、急遽代表選手決定戦も武蔵が優勝

2020/06/07 14:06
 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第14回目は1997年6月17日、K-1 JAPAN GRANDPRIXへの出場権を懸けて非公開で行われた『正道会館代表選手決定トーナメント』。 (写真)1回戦、武蔵は隙あらば得意の左ハイを蹴っていく 1997年7月20日に開催を控えたK-1 JAPAN GRANDPRIXの前に異変が起こった。アンディ・フグ、ブランコ・シカティック、カークウッド・ウォーカー、マイケル・トンプソンに4連敗を喫した武蔵(正道会館=当時はムサシ)に、石井館長が「出場権はく奪」という厳しい処置をとったのだ。  そのため、宙に浮いた正道会館代表権を懸けてのトーナメントが、6月17日に東京・後楽園ホールで急遽、非公開で行われることに。出場者は全員が正道会館所属で、武蔵、中迫剛、宮本正明、鈴木誠司の4名。  1回戦、武蔵は新鋭の宮本と対戦。サウスポーからの左ハイをヒットさせ、バックステップとヘッドスリップで宮本のパンチを空振りさせる。2Rに入ると空振りで披露してしまった宮本に、武蔵はオーソドックスにスイッチして左フックと右ストレート、宮本のワンツーを外してアッパーを狙うなど、ジャッジ三者とも20-18の完勝。 (写真)決勝の中迫戦、武蔵は巧みなディフェンスで翻弄する 決勝は中迫との対戦となり、オーソドックスに構えた武蔵が左ジャブ、フックから左ハイをヒットさせる。中迫はミドルを蹴ればキャッチされ、パンチの打ち合いでは間合いを支配されて苦戦。2Rは中迫がローを捨ててパンチの応酬に持ち込むが、技術の差は埋められなかった。  武蔵も息が上がり始めてはいたが、パンチを蹴りにつなげて判定2-0で勝利。晴れて代表の座を取り戻す形となった。 (写真)堂々の勝利で優勝し、実力で出場権を取り戻した「試合のことを知ったのが3日前くらいで、ビックリしました。スイスの試合から帰ってきて何もしていなかったので、動けるかどうか分からなかったんですけれど、何とか動きましたね。同じK-1で頑張っている仲間だからやりにくかったですね。最初はどうしてもスパーリングみたいになってしまって」と、淡々とコメントする武蔵だったが、「日本人選手の出場するトーナメントですから、K-1に先に出ている者としてお前らの出るところじゃない、というのを見せつけたいと思います。必ず優勝します」と優勝宣言が飛び出した。  しかし、武蔵は負傷のためK-1 JAPAN GRANDPRIXを欠場。この試合から約1年間、欠場が続くこととなってしまった。
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