1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第2回目は1987年6月14日、大阪市中央体育館で開催された極真会館『第4回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会』より、軽量級の決勝戦。
1987年11月に開催される『第4回オープントーナメント全世界空手道選手権大会』への最終選考を兼ねた『第4回オープントーナメント全日本ウェイト制空手道選手権大会』が、大阪市中央体育館に満員札止め5000人の観衆を集めて行われた。
軽量級の決勝戦は緑健児(城南支部)vs三明広幸(京都支部)で争われた。
緑は上段廻し蹴りを始めとする華麗なる技で脚光を浴び、1984年の第1回全日本ウェイト制ではベスト8、1985年の第2回では優勝を飾っている(軽量級)。無差別級の第17回全日本選手権では軽量級ながら5位に入賞し、全世界選手権でもその活躍が期待されていたが、日本代表選考を兼ねた第18回全日本の2回戦で三明に技ありを奪われて敗退。代表の座を逃し、このウェイト制にラストチャンスを懸けての出場となった。
両者は過去1勝1敗の五分。文字通りの決着戦は“世界”への切符を懸けての激突となった。緑は“蝶のように舞い、蜂のように刺す”華麗なテクニシャン、三明は技術もさることながら不退転のガッツで相手を蹴散らすファイター。
マットに駆け上がった両者。2人は激しくにらみ合った。「目をそらしたら負けだと思いました。向き合った時からお互いに絶対負けないという感じで」(緑)、「向かい合った時に目を見れば分かるんですよ。相手が視線をそらしたら、これは勝てるな、というのが。ところが、緑選手は逆にこっちをにらんできて“手強いな”と思いました」(三明)と、互いに強烈に意識し合う2人は、試合開始と同時にぶつかり合った。
緑は身長165cm、65kgの小さな身体を弾ませて、マット狭しと飛び回る組手が身上。その美しさは“これが空手だ”と世界各国の極真支部に轟いている。しかし、この試合、緑は派手な技をあまり使わず、的確な技を使って地道に三明を攻める。勝負にかける執念をうかがわせる戦いぶりだ。
本戦は互いに接近しては激しい突きの応酬。サッと離れては左右の上段蹴りと、両者一歩も退かず一進一退。判定も0-0と全くの互角で延長戦へ。
ステップワークを駆使して緑を翻弄しようとする三明だが、緑はその動きをよく見て、一気に三明の懐に進入すると渾身の突き連打から身体ごとぶつけるような左上段廻し蹴り。緑はベンチプレスで130kgを上げるという軽量級選手の中では圧倒的なパワーを誇っている。
延長戦の判定は5-0。決着はついた。思わずガッツポーズをとる緑。場内には拍手の音が大きく鳴り響く。その中で2人はマット中央に歩み寄り、ガッチリと抱き合って互いの健闘を称えた。
「これほどプレッシャーのかかった大会もなかったですね。世界への出場もかかっていたし、三明君との勝負もあった。これで負けたら終わりだと思っていました。しかし、ここまでやれたのも三明君がいたから。苦しい時は三明君の名前を口にしながら頑張りました」と緑。5か月後には、世界の舞台で舞った。