得意のコーナー最上段に登ってのアピール、五味が勝利の雄叫びをあげた
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。42回目は2004年5月23日、横浜アリーナで開催された『PRIDE武士道‐其の参‐』より、五味隆典(木口道場レスリング教室)が強烈なインパクトを与えた秒殺劇。
五味隆典は1998年11月、修斗でプロデビュー。2001年12月に佐藤ルミナと修斗世界ウェルター級王座決定戦を争い、王座に就いた。しかし、2003年8月の防衛戦でヨアキム・ハンセンに敗れてデビュー以来の連勝が13でストップ、王座も失ってしまった。同年10月にはハワイでBJ・ペンにも敗れて連敗。
目標だった修斗世界王座を獲得し、大先輩で憧れの佐藤ルミナを超えたこと、そしてその後も連勝したことで目標を見失いモチベーションが低下したことが五味の不調の原因だと予測された。そこで五味が選んだのは『PRIDE』が新たなコンセプトで立ち上げた大会である『PRIDE武士道』。その第2回大会から参戦した五味は、まずはジャドソン・コスタを1RでKO。
迎えた第3回大会で、五味は強烈なインパクトを残すことになる。対戦相手は、ブラジリアン柔術創始者カーロス・グレイシーの次男カーロス・ホブソン・グレイシーの三男であるハウフ・グレイシー(ブラジル)。次男がヘンゾ、四男がハイアンである。
MMAでは6戦を行って5試合が一本勝ちかTKO勝ち。2003年10月には第1回の『PRIDE武士道』に初来日し、三島☆ド根性ノ助から勝利を収めていた。
“グレイシー”の名を持つ男との初対決。五味は殺気を漂わせていた。試合開始直後、タックルの体勢に入ったハウフに五味が左ハイキック。その蹴り足の膝がカウンターでハウフの顔面を直撃し、そのまま前に倒れてきたハウフにガブって頭部へヒザ蹴りの連打でKO。試合タイムはわずか“6秒”だった。
後日、五味は前日に行われた『K-1 ROMANEX』で須藤元気がホイラー・グレイシーに勝利したのを見て、「やっぱり負けていられない。兄弟(2人の師匠である木口宣昭会長が五味と須藤を兄弟だと称した)揃っていい勝ち方をしたいと思ったんだよね。“俺はダメかな”とも考えたけれど、“2人一緒に勝とうか”って考え方を切り替えて。ほんのちょっとのことだよね。勝つきっかけというのは」と、刺激を受けたと振り返っている。