1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。37回目は1999年5月29日、神奈川・横浜文化体育館で修斗プロ化10周年記念大会として行われた『プロフェッショナル修斗公式戦10 years Anniversary』から、宇野薫(和術慧舟会)vs佐藤ルミナ(K'z FACTORY)の修斗ウェルター級王座決定戦。
1989年5月に第1回プロ大会を開催した修斗が、横浜文化体育館でプロ化10周年記念大会を開催した。観衆は5092人(超満員札止め)、チケットは当日完売。
ルミナは1994年11月にプロデビューし、アグレッシブなファイトスタイルで6連続一本勝ち。7戦目のジョン・ルイス戦ではドローとなったが(バーリトゥードジャパンルールのため修斗公式戦には含まれず)、1997年1月には日本人選手で初めてブラジリアン柔術黒帯の選手から一本勝ちを奪い、その後も連戦連勝。1998年3月にジョエル・ギャルソンに敗れるまで、実に11連勝を飾っていた。
しかも、勝利の全てが一本またはTKO勝ちで、1R決着は8試合。極めつけはこのタイトルマッチの前に行ったチャールズ・テイラー戦で、飛びつき腕十字によるわずか6秒での一本勝ち。“修斗のカリスマ”として修斗だけではなく、格闘技界全体をけん引する人気選手となっていた。
対する宇野は横浜高校レスリング部出身で、高校3年生時にはパンクラスの入門テストを受験するも不合格。1996年10月に修斗でプロデビューした。和術慧舟会に入門する前はルミナの指導を受けたこともあり、ルミナを「憧れの人」と公言。プロ9戦目でその憧れの人と王座を争うことになった。
試合開始、宇野はいきなり飛び蹴りの奇襲を見せる。これは「カッカしてもらおうと思った」との作戦だったという。ルミナは組み付いてコーナーに押し込むと、小外刈りでテイクダウン。宇野のバックにつき、素早く裸絞めの体勢に入った。開始からわずか61秒、いきなり窮地に追い込まれた宇野だったが、ここから約3分間、宇野は驚異の粘りを見せる。裸絞めを完成させようとするルミナの手を何度も剥がし、ついに身体を翻して難を逃れた。
続く2Rも宇野は2度、バックを取られかける状況に陥ったが、いずれもバックマウントに持ち込まれる前に逃げることに成功。逆に宇野は上からパンチを顔面とボディに打ち分け、攻勢に立つ。そして最終的には自分のペースに持ち込む。
1Rの裸絞めでの攻防でスタミナをロスしたルミナは次第に動きが悪くなり、宇野のタックルは全て入られてしまい、パスガードされかけては背後を見せてしまう。得意の足関節技を仕掛けようとするがキレもない。3分を過ぎた頃、ルミナは時折両手をヒザに当てて辛そうな姿を見せてしまった。
明らかに疲れ切っているルミナだが、それでもパンチを打ち返して攻めに行く姿勢を見せる。しかし、最後はルミナの低いタックルを見切った宇野がバックに回っての裸絞め。3R4分2秒、ルミナは格闘技人生初のタップ、チャンピオンベルトは宇野の腰に巻かれた。
宇野はマイクを持つと天に人差し指を立て、「天国のお父さん、いつも見守ってくれてありがとう。やっと一番になれました。これからも見守っていてください」と語った。