1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。27回目は間もなく20年目を迎えようとしている2000年5月26日、東京ドームで行われた『コロシアム2000』より、ヒクソン・グレイシー(ブラジル)最後の戦いとなった船木誠勝(パンクラス)戦。
“400戦無敗の男”ヒクソンは1994年7月に初来日以来、日本人選手を相手に連戦連勝。特に1997年10月と1998年10月の『PRIDE』における高田延彦との2連戦は大きなインパクトを残した。
船木は“日本の最後の砦”と言われ、ヒクソンもまた、この時期は桜庭和志がホイラー・グレイシーとホイス・グレイシー、田村潔司がヘンゾ・グレイシーを撃破していたため“グレイシー柔術最後の砦”と言われていた。
試合開始と同時にヒザへの前蹴りから銅タックルに行くヒクソン。船木は左フックを合わせようとしたが組み付かれる。コーナーへ押し込んだヒクソンはヒザ蹴り、船木も体勢を入れ替えることを狙いながらヒザを返す。
片足タックルでテイクダウンを仕掛けるヒクソンに、船木はロープをつかみながらもバランスを整えてコーナーを背にすることで阻止。押し付けるヒクソンはヒザ蹴り、ボディへのパンチ。船木もヒザを返す。
体勢を低くしたヒクソンの頭を脇に抱える船木。フロントチョークの体勢になり、東京ドームに大歓声が沸く。ヒクソンは頭を上げながらサイドに身体を振ってテイクダウンに持ち込むが、船木が身体を浴びせてバランスを保ちながら上になる。
右のパウンドを叩き込んですぐに立つ船木。猪木×アリ状態で寝ているヒクソンの足へ蹴りを連発する。しばらくしてヒクソンは立ち上がり、前に出ると船木に組み付く。ヒザ蹴りから引き倒すようにしてテイクダウンしたヒクソンは上に乗り、パスしてサイドからマウントを奪う。
抱き着く船木だが、ヒクソンはそれを引き剥がし、体勢を整えるとパウンド連打。船木の右腕を船木の首に巻き付けるようにして動きを封じ、なおもパウンドを叩き込んでいくヒクソン。そして腕十字を取りに行くような形でバックに回ってのリアネイキドチョーク。船木は目を見開いて失神し、ヒクソンが1R11分46秒、TKO勝ち(セコンドからのタオル投入)で無敗神話を守った。
ヒクソンの左目下は船木のパウンドで眼窩底骨折、大きく腫れあがっていた。後にヒクソンは「左目が全く見えなくなってしまい、最大のピンチだった」と振り返っている。さらに船木のことを「真のウォリアーであり、サムライだった」と称えている。
花道を通ってバックステージに戻る直前、船木はマイクを持つと「15年間、ありがとうございました」と引退宣言。深々と頭を下げた。船木は2007年大晦日に現役復帰することになるが、ヒクソンにとってはこれが最後の戦いとなった。