キックボクシング
コラム

【1992年5月の格闘技】キックボクシングvs空手の異種格闘技戦、村上竜司がど根性ファイト

2020/05/04 14:05
【1992年5月の格闘技】キックボクシングvs空手の異種格闘技戦、村上竜司がど根性ファイト

最終R、スタミナ切れとなった村上(左)に港はヒジ、ヒザで容赦ない猛攻を加える

 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。10回目は1992年5月23日、東京・後楽園ホールで開催されたMA日本キックボクシング連盟『山木ジム7周年記念興行』より、キックボクシングvs空手の異種格闘技戦。


(写真)村上を首相撲に捕まえてヒザ蹴りを顔面へぶち込む港

 強面のキャラクターと男らしい真っ向勝負で人気を博していた空手家・村上竜司(士道館)が、キックボクシングのリングに上がった。同年1月に開催されたグローブ空手の日本一決定トーナメント『トーワ杯カラテ・ジャパン・オープン』に出場し、ボクシングの技術も修得して満を持しての登場。1991年士道館全日本空手道選手権無差別級優勝、1992年佐藤塾全日本選手権優勝の実績を持つ。

 迎え撃つはMA日本キックボクシング連盟のミドル級ホープとして脚光を浴びていた港太郎(港山木ジム)。この試合はヘビー級3分5Rで行われ、港は77.11kg、村上は81.65kgだった。

 戦前「ヤツとの戦いは血みどろの戦いになるだろう」と予告していた村上だが、前半はオーソドックスな攻防となった。村上は左ジャブを突き、得意の左フック、左ストレートへとつなげる。港は村上のボクシングに対し、右ミドル、正面からの飛び込みヒザを放つ。村上も重いローキック、パンチで攻めるが港のヒザ蹴り、ヒジ打ち、左ミドルと多彩な攻撃に早くも圧されてしまう。

 2Rになると、村上にはスタミナ切れの兆候が見え始める。前に出て左ジャブ、前蹴りを出すが港はフットワークを駆使してディフェンス。正面からのヒザ蹴りを中心にボディブロー、ヒジを次々と叩き込む。


(写真)ボクシング特訓で身に着けた左フックで勝負をかける村上

 防戦一方となった村上は、3Rに入るとロープをつかんで身体を支えての前蹴り。港はここぞとばかりに攻めるが、村上の執念の炎はまだ消えてはいなかった。港がテンカオに来るところへ下から潜り込むようにして右アッパー、港の身体がのけ反った。村上はすかさず左右フック連打を決め、港をロープへくぎ付けに。だが、港は村上のパンチの雨を掻い潜り、右ヒジ打ち。これで村上の手が止まり、再び港の猛攻が始まった。

 4R、村上はそれまで着ていた道衣の上着を脱ぎ、、上半身は裸となるが、港はヒジ連打で村上をめった打ち。クリンチして頭突きを2発放つほど、村上は追い詰められる。渾身の左フックも空振りとなり、頭部からの流血で顔面は血に染まる。それでも、最後までパンチを出しながら前進し、5Rを戦い抜いた。港も左ミドル6連打、ヒジ打ちでこれに応えた。

 3-0の判定勝利を得た港は、「スタミナ切れ。練習が足りなかったですね。パンチは強かったです。頭が痛くなりましたよ」と振り返り、最初から7月17日に決まっていた再戦について「次はKOします」と自信ある発言。


(写真)試合終了のゴングが鳴ると、港は両膝を着いて「ありがとうございました」

 ド根性ファイトを見せながらも敗れた村上は「ヤツを甘く見すぎた。4R以降はもう意識がなかったけれど、空手界の恥になっちゃうからKOだけは避けたかった。ヤツは強い」と苦笑いを浮かべ、「再戦はこのままじゃやられるな…」と港の実力を認める発言を残した。

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