1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。10回目は1992年5月14日、東京・有明コロシアムで開催された『リングス・メガバトル4th~光臨』より、ピーター・アーツ(オランダ)の初来日試合。
(写真)当時は89.7kgでまだ学生だったアーツは細い ピーター・アーツの名が日本で知られるようになったのは、1992年4月9日にフランス・パリでWKA世界ヘビー級王者モーリス・スミスに8年ぶりの黒星を付けたことからだった。
当時のスミスはまさしく世界最強の男だと思われており、格闘技ファンの間での知名度は抜群。そのスミスに勝ったことでアーツとはどんな選手なんだと話題になった。まだ、インターネットで名前を検索すれば動画が見られるなんてことがない時代である。
しかし、日本のファンがアーツの試合を見る機会は意外にも早く訪れた。前田日明率いるリングスの5月16日・有明コロシアム大会にアーツの初来日が決定したのだ。対戦するのはアダム・ワット(正道会館)。3分5Rのスペシャルキックルール(ヒジ打ち、首相撲からのヒザ蹴りあり)での試合となった。
1R、ジャブから右ローを蹴るアーツにワットが右ストレート。いきなりバランスを崩すアーツはガードを固めてパンチで追撃してきたワットを首相撲に捕まえる。ブレイク後もローを蹴るアーツに、ワットは蹴り足をつかんでのヒジを放つ。
アーツの右ストレートにワットも右ストレートを返す。アーツはローを蹴ってバランスを崩すなど動きがドタバタしていてバランスの悪さが目立つ。一方のワットもアーツの右ストレートをもらうと組み付き、首相撲になることが多い。ワットが首相撲でアーツをコカしたところでラウンド終了。
2R、軽快なステップを踏むワットはいきなり後ろ蹴りを繰り出す。これにアーツは大きく後退。ローの蹴り合い、組み合ってのヒザの蹴り合いが続く。ワットは積極的に組みに行き、ヒジ打ち、ヒザ蹴りを見舞う。このヒジ打ちにアーツは後退を余儀なくされる。
勢いよく前へ出てヒジを打つワットにアーツはバランスを崩しながらも右アッパー、ワットが組んできたところで身体を入れ替えると、ロープを背にしたワットの顔面を押してすぐさま左ヒジ打ち。
(写真)フィニッシュのヒジ打ち。腕でワットの顔を押し、そのままヒジを滑らせるように当てた ショートの距離でのヒジ打ちだったため、観客は何が決まったのかという雰囲気となったが、ワットはそのまま立ち上がることが出来ずアーツのKO勝ちとなった。2R2分42秒だった。
試合後、1Rの動きの悪さをアーツに聞くと「僕はまだファイトの状態じゃなかったんだ。3、4、5Rが僕の勝負のラウンドだと思っていた。彼は右ストレートが強かったし、動きも悪くない。ただ、1Rは彼が強かったけれど2Rは僕の方が強かったということだろう」と、自分はスロースターターだと打ち明けた。
また、「僕はまだ学生さ。スポーツスクールでスポーツの先生になるための勉強をしているんだ。僕の夢は、学校の体育の先生になることだから。全てのスポーツを教えられる先生になりたい。それで将来的にはスポーツ・スクールを作りたいんだ」との将来の夢を語っていた。
もし、翌年スタートしたK-1がなかったら、アーツは今頃スポーツスクールの先生になっていたのだろうか。