レスリング
コラム

【1990年5月の格闘技】15歳の山本美憂が全日本4連覇、年齢制限で世界選手権は出場ならず

2020/05/03 15:05
 1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。6回目は1990年5月27日、東京・スポーツ会館で行われた『第4回全日本女子アマチュア・レスリング選手権大会』より、山本美憂(朝日住建日体クラブ)が大会4連覇を達成した日。 (写真)山本は2試合とも開始早々から攻め込み、相手のバックを奪っていった“日本女子レスリング界のプリンセス”として大きな注目を集める山本美憂・15歳が、国内無敵の強さを発揮した。  47kg級に出場した山本は初戦で田中一美のバックをつかんで圧倒し、フォール勝ち。続く黛都志江戦では俊敏な片足タックルから相手バックに攻撃を移行するなど、才能を存分に見せつけて連勝。以上の2試合で優勝を決め、同階級2連覇、大会4連覇(第1、2回大会は44kg級で優勝)を成し遂げた。 (写真)普段はあどけない少女の表情でも、マットでは闘志を爆発。目つきも厳しい 試合を終えたばかりの山本は「まだまだ試合運びがぎこちない。2試合目は自分のタックルが、上手く入ったが8割の出来。残り2割は詰めが甘かった」と、厳しい自己評価を下した。  同年8月にはスウェーデンで『第2回女子世界選手権』が開催されるが、8月4日で16歳になる山本はFILA(国際アマチュアレスリング連盟)の出場年齢規定(17歳以上)に満たないため、世界のひのき舞台にはまだ立つことが出来ない。しかし山本は「やはり詰めの甘さを完全に克服してから世界に行きたい」と慎重な態度。 (写真)全日本4連覇を飾った山本の胸には金メダルが。1991年の初の世界挑戦でも金が確実視されていた 周囲では世界選手権上位入賞した日本代表選手を破ったこともあり、「山本が出場すれば金メダル獲得は間違いない」と確信しきっていた。実際、1989年6月に出場した『全米選手権』では連続フォールで海外の強豪を撃破して優勝。大会MVPにも選出されている。  同大会では「外国人に対抗するためにはパワー不足を実感しました。でも体格は外国勢が優位ですが、タックルなどは日本の方がレベルが上」と自信も付けている。 (写真)師匠でもある父・郁栄氏と試合後に握手 衝撃の世界デビューを飾るのは1991年8月に東京で開催される『第4回世界選手権』。 「それまでには、一発でフォールを狙えるような技をマスターしたい。確かに詰めが甘いし、集中力も不足がちだが、実力は世界でも一、二でしょう」と、師匠でもある父・郁栄氏も照準を世界に絞った。  1972年のミュンヘン五輪、グレコローマン57kg級代表だった郁栄氏は、その年に誕生した長女に「ミュンヘン」を文字って美憂と命名。美憂は小学校2年からレスリングの英才教育を受けてきた。郁栄氏は「今後は、柔道もやらせてみたい」と世界制覇へ向けてさらなる強化プランを話した。 (写真)後に世界王者となる日本ボクシング界のホープ鬼塚勝也(左)も応援に駆け付けた 以上が当時『ゴング格闘技』に掲載された大会レポートだが、そのレポートはこのような言葉で締めくくられている。 「80年代は橋本聖子、小谷美可子らが女子スポーツ界を席巻したが、90年代は山本美憂が格闘技界を超え、スポーツ界で人気を独占することは間違いない。マット上にヒロインが誕生する」
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