全試合終了後、挨拶をする榊原代表。ファンはよもやこれが最後のPRIDEの大会になるとは知る由もなかった
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。57回目は2007年4月8日にさいたまスーパーアリーナで開催された、PRIDEの最後の大会。
(写真)第1試合の中尾“KISS”芳広(フリー)vsエジソン・ドラゴ(ブラジル)
PRIDE10周年記念イヤーの2007年3月27日、六本木ヒルズアリーナで行われた「PRIDE重大発表公開記者会見」にて、榊原信行代表はUFCのオーナーであるロレンゾ氏にPRIDEのオーナーの座を譲り、PRIDEの全権を譲渡したことを発表。自身も4月8日に開催される『PRIDE.34』をもって代表の座を辞任することを明かした。
(写真)第2試合のバタービーン(アメリカ)vsズール(ブラジル)
その場でPRIDEとUFCの対抗戦第一弾として、藤田和之(藤田事務所)vsジェフ・モンソン(アメリカ)が『PRIDE.34』で行われることが発表され、会見に出席したUFCのダナ・ホワイト社長は「ロレンゾがPRIDEとUFCのオーナーになろうが、そんなことは全く関係ない。私はただ、PRIDEを叩きのめすだけだ!」と宣言。
(写真)第3試合の瀧本誠(吉田道場)vsゼルグ“弁慶”ガレシック(クロアチア)
モンソンと藤田も登壇し、モンソンが「私はPRIDEのファンでもあるが、UFC代表として出るからにはUFCの方が強いということを証明してみせる」と言えば、藤田は「PRIDEを代表して、この俺がUFCを叩き潰すことを宣言します!」と言い放ち、会見は最高潮に盛り上がった。
(写真)第4試合のギルバート・アイブル(オランダ)vs小路晃(フリー)
『PRIDE.34』は第1試合から中尾“KISS”芳広(フリー)がエジソン・ドラゴ(ブラジル)に一本勝ち、バタービーン(アメリカ)がズール(ブラジル)に一本勝ち、瀧本誠(吉田道場)がゼルグ“弁慶”ガレシック(クロアチア)に一本勝ち、ギルバート・アイブル(オランダ)が小路晃(フリー)にTKO勝ち、ジェームス・トンプソン(イギリス)がドン・フライ(アメリカ)にTKO勝ち、青木真也(パラエストラ東京)がブライアン・ローアンユー(オランダ)に一本勝ち。
(写真)第5試合のジェームス・トンプソン(イギリス)vsドン・フライ(アメリカ)
第6試合終了後には桜庭和志と田村潔司がリングに登場し、榊原代表は「PRIDEのスタッフには実現できなかったこのカードを新体制で実現させてください」とスピーチした。
(写真)第6試合の青木真也(パラエストラ東京)vsブライアン・ローアンユー(オランダ)
続いてのセミファイナルではソクジュ(カメルーン)がヒカルド・アローナ(ブラジル)にKO勝ち。メインの藤田vsモンソンまで、全試合完全決着となっていた。
(写真)HERO'Sに移籍していた桜庭が駆け付け、田村と共にリングに上がった
藤田はPRIDEのロゴが入ったTシャツを着てPRIDEのメインテーマで入場。モンソンのパンチからのタックルに藤田はガブっての四点ポジションからのヒザ蹴り、サッカーボールキックで対抗。しかし、モンソンがつかんだ藤田の両足を高く持ち上げてテイクダウンに成功し、藤田のバックに回る。
(写真)第7試合のソクジュ(カメルーン)vsヒカルド・アローナ(ブラジル)
モンソンはじわじわとチョークの体勢を作っていき、首に手を滑り込ませてのリアネイキドチョーク。亀になっていた藤田を仰向けにさせたところで藤田がタップし、PRIDEvsUFCの対抗戦はUFCが先勝した。
(写真)メインはPRIDEvsUFC第一弾として行われた藤田和之(藤田事務所)vsジェフ・モンソン(アメリカ)
全試合終了後にはPRIDEファイターたちが続々とリングに上がり、会場に来ていたヴァンダレイ・シウバやダン・ヘンダーソン、五味隆典、ムリーロ・ニンジャらが挨拶。榊原代表は「今日までありがとうございました。また、どこかでお会いできればと思います」と、PRIDEファンにお別れの言葉を述べた。
この時点では、5月20日に新会社であるPRIDE FC Worldwideがさいたまスーパーアリーナで『PRIDEライト級グランプリ2007 開幕戦』を開催することが発表されていたが、4月14日にはPRIDEオフィシャルサイトにて延期を発表。そして10月4日にはPRIDE FC Worldwideの解散とスタッフの解雇がなされ、新体制でのPRIDEは一度も開催されることがなく、消滅した。