1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。14回目はフジテレビの深夜番組でキックボクシングのスタジオマッチが開催された話。
女子大生ブームを巻き起こし、とんねるずがスターへの階段を上るきっかけとなったフジテレビ土曜深夜の人気番組『オールナイトフジ』。1983年から1991年まで放映されたこの人気番組の後番組として、1991年4月20日から『ヤマタノオロチ』というバラエティ番組がスタートした。
その番組内にて「ミッドナイトファイティング」なるコーナーが登場。これは局内のスタジオにリングを組み、深夜にリアルタイムで格闘技の試合を放送するという画期的な企画だった。
スタジオ内に組まれたリング。観客も入れていた 番組のエースとして白羽の矢が立ったのは、当時全日本キックボクシング連盟のエースとして活躍していたWKA世界スーパーバンタム級王者・清水隆広(正心館)だ。同コーナーを企画・担当したディレクターは清水を採用した理由を次のように語っている。
「清水の試合は非常にエキサイティングだし、カリスマ性がある。この企画の主軸となるのは、清水の試合だと思っています」と大きな期待をかけていた。
記念すべき企画のオープニングバウト「ヤマタノオロチ杯争奪3分3R」は、午前2時50分に試合開始。清水の相手は48勝(7KO)10敗7分の戦績を持つムエタイ戦士ガッティンディー・イッヤッパン(タイ)。リング登場時、微かに笑みを浮かべた清水は2R後半から積極的に攻め始める。左右ストレートから得意のバックスピンキック、さらにパンチのラッシュでガッティンディーを追い込む。
最終3Rには強烈な右ストレートのカウンターで、ガッティンディーの口から鮮血を噴き出させて、文句のない判定勝ちを収め見事期待に応えてみせた。
2R、清水(右)はパンチのラッシュでガッティンディーを一気に追い込む KOこそ逃したものの、清水が迫力ある攻撃で一方的な勝利を収め、スタジオ内に設けられた観客席の反応も上々で企画は順調な滑り出しを見せた…かに思われたが、試合が終わった後、担当ディレクターは苦虫を噛み潰したような顔で「まいったな、まずいな…」と困っていた。
その理由は「最後に血が出たから」だった。格闘技なのだから多少は血が出るのは当たり前、それでも大流血というほどの出血ではなかったのだが、担当ディレクターは「いや、血はまずい」と狼狽し続けたのだった。
放送前の会見では、同コーナーでは今後も清水を中心にキックボクシングの試合を放映していく予定で、年内に4試合、とのことだったが、翌週からプロレスの試合が何試合か行われただけで「ミッドナイトファイティング」のコーナー自体がすぐになくなってしまった。貴重な地上波での格闘技試合中継だったのだが、それほどあの流血がまずかったのだろうか。フジテレビが『K-1』の中継を始める2年前のことである。