1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。13回目は1991年4月に東京・国立代々木競技場第二体育館で開催された佐藤塾主催『POINT&KNOCK OUT第6回全日本空手道選手権大会』。
極真空手の第1回全世界空手道選手権大会で優勝し、初代世界チャンピオンとなった佐藤勝昭塾長が創始した佐藤塾。その大会ルールは「POINT&KNOCK OUT」という独自のもので、従来のフルコンタクト空手ルールに加えて、無防備な頭部・胸部・腹部の急所に手技や足技が的確に (タイミング、スピード、パワー、気合いを兼ね備える) 決まった場合はポイントになるというもの。また、フルコンタクト空手にありがちな下段廻し蹴りの蹴り合いを避けるため、下段の連打は禁止となっていた。
初のビッグタイトル獲得に燃える角田は気迫の下段廻し蹴り。森も突きで応戦する その「POINT&KNOCK OUT」ルールを採用した佐藤塾の全日本選手権大会に、第1回大会から毎年出場していたのが角田信朗(正道会館)だった。毎年、あと一歩のところで優勝を逃してきた角田は“今年こそ”の意気込みで第6回大会にも出場。
同大会では毎年のように佐藤塾勢vs正道会館勢の激しいサバイバル戦争が繰り広げられており、第4回・第5回と正道会館が優勝旗を持ち去っていた。今大会の決勝戦も森猛(佐藤塾)vs角田の佐藤塾vs正道会館の図式となり、正道会館が3年連続で制するのか、佐藤塾が王座を奪回するのか、注目された。
決勝戦前、森は場内を落ち着きなく歩き回り、角田は石井館長を相手に左中段廻し蹴りの練習を繰り返す。両雄とも初優勝に懸ける並々ならぬ闘気を漂わせていた。
「始め!」主審を務める佐藤勝昭塾長が試合開始を告げると、森はオーバーなほど飛び跳ねるフットワークから右前蹴り。そして嵐のような正拳連打を角田に浴びせ、角田が場外に出ても止めない。角田もこれに応酬し、観衆を沸かせる。
「来年も戦おう」と再戦を約束して握手を交わした両者だったが、実現はしなかった 開始線に戻ると、角田は左中段廻し蹴りから左鎖骨突きを連打。森も得意の後ろ廻し蹴りで応戦するが、角田は左下段廻し蹴り、さらに突きで猛攻を加える。が、勝利の女神はまたしても角田に背を向けた。勢いに乗る角田が一歩踏み込もうとした瞬間、森は逆突きをカウンターで決め、これがポイントになったのだ。
“なぜ?”とポイントの判定に不服そうな角田。飛び後ろ廻し蹴り、左上段廻し蹴りで逆転を狙ったが時間切れ。判定3-0で森の優勢勝ちが告げられると、石井館長は「(角田は)悲劇のヒーローやな…」とつぶやいた。
だが、勝った森も「今まで1勝1敗でこれが決着戦になるはずだったけれど、これでは納得がいかない。もう1回だ」と再戦をアピールし、角田も「納得はしていません。できれば、延長してもらいたかった」と悔し涙を流して雪辱を誓った。