1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。6回目は1993年4月24日に日本で突然の復帰戦を行った“天才”と謳われたムエタイ戦士サーマート・パヤクァルン(タイ)。
“伝説のムエタイ戦士”が後楽園ホールで蘇った。「天才」と称えられ、近代ムエタイのベスト・プレイヤーとして名高いサーマートが突如として日本で試合を行ったのである。
サーマート(タイ語で天賦の才の意味)はムエタイの殿堂ルンピニースタジアムで4階級を制覇し、そのヒジ打ちの技術は“芸術的”とまで言われた。1982年8月にはプロボクシングに転向し、1986年1月にはWBC世界スーパーバンタム級王座を奪取。ボクシングでは21勝(12KO)2敗の戦績を残している。
(写真)試合が始まる直前までファンからのサイン要望に応えていた 当初、サーマートはマーシャルアーツ日本キックボクシング連盟の4月大会でエキシビションマッチを行う予定だった。顔見せ程度の出場だと思われていたのだが、あのサーマートを生で見ることができる、とキックボクシング&ムエタイファンの間では大きな話題となっていた。
ところが、サーマートは大会2日前に“実戦”を承諾。日本初試合が突然決定した。しかも対戦相手は同団体の看板選手である、新妻聡(目黒ジム)に。
1R、サーマートはオーソドックスに構えてノーガードから長足で右ロー、右ハイ。左ジャブで距離をとろうとする新妻を左前蹴りで吹っ飛ばし、電光石火の右ストレートで早くもダウンを獲得した。
余裕たっぷりのサーマートはノーガード。新妻のローが当たると足を撫でてニヤリと笑ったり、左フックをかわして新妻の背後に回るなど余裕たっぷり。2回にはカウンターの右ストレートで2度目のダウンを追加した。
(写真)3R後半、サーマートは完全にスタミナ切れを起こして新妻の強打をもらい、KO負け寸前の場面も 当時すでにムエタイもボクシングも引退していたが、現役バリバリで上り調子にある新妻をこのように翻弄。試合直前までサイン攻めに合うなど余裕たっぷりだったサーマートは観客を魅了したが、「5年間練習していなかった」と試合後に語った通り、3Rの後半になるとスタミナ切れ。新妻の強打に何度も追い詰められ、KO負け寸前の場面もあったが、3分5Rフルに戦い抜き、2度のダウンのポイントを守り切って判定勝ち(49-45、48-45、50-46)。
コメントをもらおうと多くの記者が控室に集まった中、サーマートは「疲れたよ」と苦笑い。ぐったりとしていたが、控室でまず最初にしたのはタバコをくわえての“一服”だった。
サーマートは帰国後、正式にカムバック。1994年9月には、敗れたもののWBA世界フェザー級王座に挑戦するところまで上り詰めた。