モーリス・スミス(左)の時代に完全にピリオドを打ったホーストの左ハイキック
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や出来事を振り返る。2回目は1993年4月30日に東京・国立代々木競技場第一体育館で開催された第1回の『K-1 GRAND PRIX’93~10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント~』。
10万ドルという格闘技では破格の優勝賞金が懸けられ、世界トップクラスの8戦士がトーナメントを1日で争う画期的な形式で開催された第1回の『K-1 GRAND PRIX’93~10万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント~』。
出場する8名の選手に関しては、船木誠勝、バート・ベイル、ウェイン・シャムロック、プロボクシング元IBF世界クルーザー級王者ジェームズ・ワーリングなど、様々な噂・情報が飛び交ったが、最終的には以下の8名のエントリーが決まった。
モーリス・スミス(アメリカ/WKA世界ヘビー級王者)
ピーター・アーツ(オランダ/IKBF世界ヘビー級王者)
スタン・ザ・マン(オーストラリア/WKA世界スーパーヘビー級王者)→直前で後川聡之(日本/正道会館)に変更
チャンプア・ゲッソンリット(タイ/WMK世界ヘビー級王者)
佐竹雅昭(日本/正道会館/92・93トーワ杯王者)
トド・ハリウッド・ヘイズ(アメリカ/UKF全米ヘビー級王者)
アーネスト・ホースト(オランダ/WMTA世界ライトヘビー級王者)
ブランコ・シカティック(クロアチア/EMTA世界ジュニアヘビー級王者)
トーナメント組み合わせは大会3日前の4月27日に発表され、本命と目されていたアーツ、そのアーツに敗れるまでヘビー級の帝王として8年間にわたって無敗伝説を築いてきたスミス、そして当時は未知の強豪であったホーストと緊急出場の後川が同じブロックに入った。
まだインターネットもない時代。ホーストはキックボクシングマニアのみが知るような選手だった。89年から90年初頭にかけて欧州の強豪選手をことごとく撃破し、重量級最強の呼び声も高かったが、90年11月に“欧州の蹴撃王”ロブ・カーマンにKOで敗れており、第1回K-1では本命視されていなかった。まだ新人時代のアーツから勝利を収めているとの情報はあったが、スミスから2度も勝利を奪った今のアーツには歯が立たないだろう、と。
ところが、トーナメント1回戦でアーツと対戦したホーストは判定2-0で優勝候補本命を降したのである。この大番狂わせに超満員となった代々木競技場第一体育館はどよめいた。しかし、その後の準決勝にはさらなる驚きが待っていたのである。
ホーストが準決勝で対戦したのはモーリス・スミス。1992年4月、アーツに判定負けを喫するまで、キックボクシングのヘビー級といえばスミスの独壇場だった。UWFに出場したことで日本での知名度もあり、人気も高く、直前の3月7日にアーツと再戦してハイキックでKO負けもしていたとはいえ、まだ優勝候補に名をあげる関係者も多かった。「ホーストはトータルにまとまっているバランスのいい選手。意外なダークホースになるかもしれない」と大会前にホーストの印象を語っていたスミスだが、まさか自分自身がホーストにKO負けを喰らうとは思ってもいなかっただろう。
92kgのベストウェイトに絞り込んで参戦したスミス(ホーストは87.8kg)。1回戦で後川を大差の判定で下して絶好調ぶりを誇示し、仇敵アーツのつまずきもあって帝王復権への期待も高まっていた。
2R、右ローを主体に左ミドル、ワンツー、右アッパーと得意のパターンで一気に攻勢を仕掛けたスミスに、ホーストはグーンと伸びる左から右の回転の速いパンチを連打して右ローでバランスを崩させ、再び左右連打の集中砲火。一撃必倒の破壊力はないものの、手数では完全にホーストが上回り、スミスのリズムを崩すことに成功した。
衝撃のシーンは3R1分過ぎ。スミスの右が虚しく空を切り、下からホーストが組み付いたその離れ際、スミスが気を抜いた一瞬の隙をついてホーストが左ハイキック一閃。スミスの右後頭部付近へ強烈に決まり、スミスは大の字になって失神KO。3R1分18秒だった。
試合後のコメントでは「(負けたのは)年齢は関係ない」と強気だったスミスだが、限界説に拍車をかけるKO敗だった。一方、日本でほとんど無名だったホーストはアーツ、スミスとビッグネームを連続撃破しての決勝進出。一夜にして世界中にその名が知れ渡ることになったのである。