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インタビュー

【ZST】ステージ4のがんから復活、本戦デビューTKO勝利の高須将大「次の目標は、チャンピオンになること」

2019/08/14 19:08
【ZST】ステージ4のがんから復活、本戦デビューTKO勝利の高須将大「次の目標は、チャンピオンになること」

2019年8月13日、東京・豊洲PITにて『ZST.66/SWAT!170』が行われ、第3試合で、SWAT!から本戦に上がり5試合目の木下尚祐(和術慧舟會GODS)と、本戦デビュー(前戦5月の「ZST.65」はSWAT!バウト)戦の高須将大(ストライプル茨城)が対戦した。

木下は2018年10月に山本喧一を父に持つ山本空良を相手に判定勝ちしており、MMA1勝3敗1分。対する高須は3勝0敗1分と無敗のまま本戦出場となった。

試合は、オーソドックスから低く構えてテイクダウンの動きも見せた高須が、右ローキックを合わせてきた木下の蹴り足を掴んで右フック一閃! 後方に倒れた木下に高須がパウンド&鉄槌を連打し、レフェリーを呼び込んだ。

1R 0分20秒、TKO。

その20秒の勝利は、腹に大きな手術痕を刻み「ステージ4」と診断されたがんと闘う高須にとって重く、そして「これから」進むべき道を照らす光となる1勝となった。

高須がストライプル茨城に入門したのは6年前。それまで格闘技経験はなく、「高校生まで野球漬けの生活」で、高校時代は2019年夏の甲子園にも出場している茨城県の名門・霞ヶ浦高校 野球部に所属していた。レギュラーには入れなかったものの、外野手を務めた高須は、引退して社会人になって「何かやりたい」と思い、就職先の寮の近くにあった格闘技道場のストライプル茨城に通い始める。

20歳から始めた格闘技。「MMA(総合格闘技)は最初からやりたいと思っていました」という高須だが、試合の機会はなかなか訪れず、柔術から試合経験を積む日々が続いた。

「まだ青帯なんですけど、代表が認めてくれるまでは総合の試合には出させてもらえなくて、3年くらい柔術の試合に出ていました」(高須)

ストライプル茨城の代表は、井上和浩。2016年、柔術ワールドマスター黒帯金メダル、2017年の柔術SJJIF WORLD黒帯金メダルの実績を持つ井上代表は、プロ修斗でも元世界ランカーとして活躍。戸井田カツヤに勝利し、植松直哉とドロー、2002年にはハワイでステファン・パーリングとスプリット判定の激闘を繰り広げているシューターだ。

そんな井上代表からMMAのゴーサインが出たのが2016年11月。ZSTの育成大会である「SWAT!」に参戦も、時間切れドローのほろ苦いデビュー戦だった。

抗がん剤の副作用で「ステップが踏めずテーピングをいっぱい巻いてスパーリングした」

2戦目はKO勝利。24歳になっていた高須は、プロ初勝利後に「すぐに次の試合を組んでいただいたのですが、試合前に結構、疲れを感じていて、スパーリング中にお腹を蹴られた時に2日くらい痛みが引かなくて……アバラが折れたのかなと思ったんです」と、“そのとき”のことを振り返る。

診断のために訪れた病院での検査の結果、肝臓がんが発覚。その時すでに肝臓に10センチ大の腫瘍があった。

「『肝臓がん』とネットで検索したら、5年生存率とか予後何年とかいっぱい書いてあって……調べられなくなりました、怖くて。そのまま緊急入院して1週間後には手術、目覚めたらあちこちメチャクチャ痛くて熱も毎日40度くらいあって、すごくしんどかったです」

2017年7月に最初の手術。退院して1カ月後には復帰に向けて練習や筋トレを再開した。「その時はもう腫瘍も取ったし治ったものだと思ってました」という高須だが、「2、3カ月で再発しちゃって、肺にもがんが転移していて、それがまずいところに腫瘍があったので、そのときは『ステージ4』と言われました」

若い身体は体力があるが、病気の進行も速い。

「最初は落ち込んでしまって、もうダメかなと思ったんですけど、井上代表や道場のみんな、友達が気にかけてくれて……毎日のようにお見舞いに来てくれて、何とか立ち直ることができました」と高須は言う。

化学療法に取り組んだ高須は抗がん剤治療でがんを潰していくが、副作用もあった。

「全身じんましんが出たり、手足症候群(抗がん剤によって手や足の皮膚の細胞が障害されることで起こる副作用)で足の裏とかが痛みました。ステップも踏めないくらい痛かったけど、テーピングをいっぱい巻いてスパーリングして、だましだまし練習していました」

当時のことを高須はSNSで下記のように記している。

「9月に退院してから1回目の定期健診で再発してしまい肝臓に4つくらい腫瘍ができていました。その時が1番辛くて親の前では泣かないようにしていたのですが、その時は泣いてしまいました。道場の人達にもどんな顔で会っていいのか分からなくなって少し引きこもってしまいました。

落ちこんでいても意味ないし、井上さんも気にかけてくれていたので、少し経ってから道場に行きました。みんな普段通り接してくれて、格闘技やってる間は嫌なこと忘れられるのでそれから毎日のように練習してました。

自分がアホみたいに練習してる間、家族は色んな病院を調べていてくれて医療系で働いている姉の紹介でいま通っている病院に決まりました。決まるまで都内まで色んな先生に会いに行きましたが、どの先生にも厳しいことを言われ、希望持たせてくれるようなことは言ってくれませんでした。母は毎回ついてきてくれたのですが、帰り道いつも自分にバレないように泣いていてそれも辛かったです。

今の病院でもう一度検査した時には肺転移、肝臓の腫瘍も進行していて肝臓にある門脈という大きい血管に腫瘍が浸潤してしまいました。門脈に腫瘍ができてしまうと癌細胞が血液と一緒に流れてしまうそうです。それでステージ4と言われました。

手術はできる状態じゃないので腫瘍に直接抗がん剤をいれる動注療法と塞栓術療法という治療を2017年12月から2018年3月の頭までやりました(2週間の入院を3回)」

辛い治療の間も、高須が格闘技をあきらめることはなかった。

「ずっとベッドの上でしたけど、絶対に復帰してやると思っていました」

その言葉通り、高須は入退院を繰り返す間も、主治医と相談しながら練習を再開する。

「自分には格闘技しかないのでとりあえずグラップリング、柔術の大会に積極的に出場しました。最初はなかなか結果ついてこなかったけど、だんだん優勝とかできるようになって自信もついてきたのでタイミングが合えばMMAのリングに復帰しようと決めました」

勝って泣いたのは初めてで、たぶん最初で最後だと思います

そして、2018年8月の『ZST/SWAT! 166』で復帰戦が決定した。

「大会が決まってからは道場の人みんなが僕のサポートをしてくださいました。土曜日は僕の都合でスパーしてくれたり、日曜日は僕のためにラントレメニューを組んでくれて一緒に走ってくれました。試合も野球部時代の仲間がチケットを買ってくれて凄く気合い入りました。試合当日。やっとここまで来れたなって感じで、いままでのことを考えたら泣いてしまいそうでした。しんどい時あったけど、1度も妥協しないで練習してきたから負けるはずないと思って堂々とリングに上がれました。

結果はぎりぎりだったけど判定勝ち。控え室に戻ったら込み上げてきてしまって泣いてしまいました。小さい頃からスポーツやってきたけど、勝って泣いたのは初めてで、たぶん最初で最後だと思います。応援にきてくれた人達も喜んで泣いてくれていたらしく、凄く嬉しかったです。内容はあれだけど勝ててよかった」

高須は当初、周囲に気を遣われるのを嫌いがんを患ったことを公にしていなかったが、今はあえてその経験を公表して試合に出場している。それは、「試合に出て、同じがんの人に勇気を与えられる存在になりたい」からだという。

「ちょうどその時、同じ病気で闘っていた山下弘子さん(『彼女が見ていた景色』で特集)が亡くなられたことをblogで知りました。山下弘子さんは自分よりひどい状態にもかかわらずいつも前向きで明るくていつも勇気をもらっていました。気を遣われたり心配されたりするのが嫌で、自分の病気をひたすら隠していたけど、俺が山下弘子さんに勇気づけられたように、俺も同じ病気の人やその家族の人を勇気づけられたらなと思い、SNSで発信していくことにしました」

3試合目の後も、治療は続いた。1カ月後に肺に転移していた腫瘍を切除するラジオ波の手術を行った。局所麻酔のうえで背中から電極針を刺して腫瘍を焼却、熱凝固壊死させる治療だ。さらに2カ月後に2度目の開腹手術をして肝臓の腫瘍を取り、計3度の手術でがん細胞を全て取り除き、「経過観察」の状態で練習を重ね、今回の2019年8月13日の「初のZST本戦出場」に臨んだ。

試合を決めた右フックは、相手のローキックに咄嗟に合わせたものかと聞くと、高須は井上代表らとの練習の成果が出たという。

「たぶん相手は自分がタックルを仕掛けてくるんじゃないかと感じたと思うので、ジャブ、タックルのフェイントで右フックを打とうとずっと決めていて、それがドンピシャにハマりました。これまで打撃があまりできなくて寝技ばかりだったんですけど、それじゃあ上に上がっていけないと思って、打撃をやるようになりました」

MMAの試合の許可が出るまで時間がかかったが、その間に磨いたグラップリング、そして組みの強みを活かした打撃が、本番で決まった。

試合後、リング上でマイクを渡された高須は、「ストライプル茨城の高須将大です。病気になって結構辛いときもあったんですけど……(言葉に詰まり)、みんなのおかげでまたリングに上がれるようになりました。ZSTファイターとして盛り上げていくので、これからもよろしくお願いします」と、駆け付けたファンと周囲に感謝の言葉を述べた。

格闘技は一見、個人競技に見えるけどチームスポーツ

「5年も生きられないと思った時は、5年のうちにあと1試合出てやろうと思ってた」というがんの発覚から2年、3度におよぶ手術のなかでMMAは5戦目を数え、3勝1分の負けなしの戦績を積み上げた。

その強さの源や病気からの驚異の回復は、高須の強い意志に起因するが、それをただ根性と呼ぶには相応しくない、たしかな格闘技への取り組みや、がんの早期発見と治療の試みがあった。高須は言う。

「肝臓は“沈黙の臓器”と言われていて、他の人はもっと腫瘍が大きくなってから気づくことが多いらしいです。自分の場合は、あの時、スパーリングで蹴られたことで病気に気づくことができた。格闘技をやっていてよかったなと思いました」

そして、2度の開腹手術、抗がん剤治療等を経て、「病気になって強くなった」ともいう。

「格闘技に対する取り組み方が変わりました。病気になって格闘技から離れるしかなかったときに“俺は格闘技がすごい好きなんだな”ってあらためて思いましたし、格闘技をやっている時間を大切にするようになりました」

限られた時間のなかで、好きな格闘技に集中して取り組む。そこで自身の変化の手応えを感じている。「『がん=死』みたいな感じのイメージがあると思うけど、格闘技をやってそのイメージを壊したい」と高須は語る。

「いまは痛みはありません。薬ものんでいないです。普通の、なんていうか人間です(笑)。主治医からは『スポーツをしていいよ』という許可は出たので、練習もやっています。ただ、ここまで激しくやっているとは思っていないかもしれませんが」と笑顔を見せる。

病気になっても、試合に勝っても負けても人生は続く。格闘技をやることと生きることは、高須にとって同義だ。

「野球から格闘技経験が全然なくて始めましたが、一見、個人競技に見えるんですけど、練習も試合も相手がいて、いろんな人の支えがあって戦える。チームスポーツだなと思います。お見舞いにきてくれたジムのみんなの『早く治して練習しようぜ』という言葉にどれほど支えられたか。唯一、熱くなれるもの――自分の生きがいです、格闘技は」

そして、また新たな目標が高須のなかに掲げられた。

「闘病中は『SWAT!』から『ZST』の本戦に出ることを目標にやってきて、今日、本戦出場を果たして勝つことができました。また次の目標は、チャンピオンになることで──まだチャンピオンになれる実力はないんですけど──練習してベルトに届くように頑張りたいと思っています」

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