PRIDEで桜庭和志と対戦するなど、“ グレイシー最凶の喧嘩屋”として活躍したハイアン・グレイシーの長男・ハイロン・グレイシーが黒帯を巻いた。
6月2日のIBJJF世界選手権(ムンジアル)の茶帯無差別級で優勝したハイロンは、ハイアンの姪であるキーラ・グレイシーから黒帯を授かったことを20日、報告した。
カーロスとエリオ・グレイシーの第一世代から、その息子たちのカリーニョスやヘンゾ、ホリオン、ヒクソン、ホイラー、ホイスの第二世代。続くホジャー、カイロン、クロン、キーラ、クラークらが第三世代グレイシーとして競技柔術の第一線から離れるなか、いまや競技柔術において、その姿を見ることが少なくなった数少ない“グレイシー”の一人として、ハイロンは大会に出場している。
父・ハイアンは2004年の大晦日の 「PRIDE 男祭り」で安生洋二に1R 腕十字で一本勝ち後、MMAから遠ざかり、2007年12月15日に、ブラジルで死去した。
盗んだ車を衝突させ、警察から逃げるためにバイクを盗もうとした容疑で逮捕され、拘置所で死体となって発見されている。
それは、ハイロンが6歳の誕生日をちょうど1週間後に控えたときだった。その後も伯父のヘンゾらから柔術の指導を受けてきたハイロンは、青帯、紫帯、茶帯と大会に出場し続け、ついに黒帯に昇格した。
その間にハイロンは、ハイアンの不在を少しでも軽減したいと考え、13年間にわたり、父への手紙を書き続け、その姿は『Letters To My Father』として短編映画にもなっている。
手紙を書いて幼少期を過ごしたハイロンは、“最も強烈なグレイシー”の一人息子でありながら、ほとんど父の存在を感じ取ることができなかった悔しさを抱えながら、グレイシーとして成長すること、いかにして柔術を愛するようになったのかについて語っている。
父親とできる限り自分の人生を共有したいというハイロンは、大会中、セコンドにホジャーとキーラがつくなか、表彰台の頂点に立ち、黒帯も巻いたことで、また新たな手紙を父親に書いたことだろう。
SNSでは、このかけがえのない瞬間について、「黒帯としての僕の使命は、カーロスとエリオに敬意を表し、エリオのレガシーのためにたゆまず戦い、次の世代に並外れたファイターとなることを教えること。またカーロスのように、約100年にわたり私たちを導いてきた哲学、ファミリーの基盤を再び呼び起こし、ファイターたちを卓越した人間にすることだ」と語っている。
グレイシーとしての“通過儀礼”を、モダン柔術のなかでも実践し続けるハイロンは、いつかもうひとつの通過儀礼である、バーリ・トゥードにも、父のように挑戦するだろうか。現在一族では、UFCでクロン、Bellatorでネイマンが最前線で戦っている。まずはハイロンの競技柔術の最高峰・黒帯での活躍に注目だ。