1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去6月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。第18回目は1997年6月7日(現地時間)、アンディ・フグが母国スイスで開催したK-1大会で宿敵マイク・ベルナルド(南アフリカ)を迎え撃った一戦。
アンディ・フグが母国スイスで主催する『K-1 FIGHT NIGHT』が3年目を迎えた。1995年はデニス・レーン、1996年はサダウ・ゲッソンリットをKOに降し、スイス全土に“サムライ空手ここにあり”を誇示したアンディ。スイス陣営が1997年の対戦相手として選んだのは、宿敵マイク・ベルナルドだった。
両者は1995年3月に初対戦。ベルナルドが3RにアンディをKOし、再戦となった同年9月もベルナルドが2RでKO勝ち。3度目の対決は『K-1 GRANDPRIX 1996』の決勝戦で行われ、アンディが2RでKO勝ちして雪辱を晴らした。今回が4度目の対決となる。試合は3分5Rで行われた。
2R2分57秒、ベルナルドの左フックがアンディのアゴを捉えた。カウント3でよろよろと立ち上がるアンディ。チューリッヒ・ハレン・スタジオンを埋めた観衆全員が“ヤバい”と思ったに違いない。窮地のアンディを救ったのはラウンド終了のゴングだった。
3R中盤、ベルナルドは打ち合いに出る。負けずに打ち合いに応じたアンディの形相は壮絶そのものであった。ダメージが消えたとはいえないその身体で打ち合いに出たアンディは、ここで勝負を懸けていたのである。「あそこで行っておかないと、逃げたり下がったりするとベルナルドにペースをつかまれるからね」とアンディのコーチは試合後に明かした。以後、アンディは本来の動きを取り戻していく。
ベルナルドは完全にアンディのペースにはまっていった。アンディはかつてのように相手の攻撃を待たず、自分からローやハイキックを放っていき、パンチで前に出ようとするベルナルドの内股にローを合わせ、ミドルに左ストレートを打つなど、ベルナルドの殺人パンチを決して喰らわずに南アフリカの怪物を翻弄していった。
5R終了のゴングが鳴った時、アンディは全てを使い果たしたとでも言いたげな表情を見せた。レフェリーに手を上げられたのはアンディ。ダウンのロストポイントを残る3Rで奪い返したのである。スイス国営放送のバックアップで国民的な英雄となった男は、今年も勝利で有終の美を飾った。