1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去5月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。15回目は1995年5月4日、東京・国立代々木競技場第一体育館で開催された『K-1 GRAND PRIX~20万ドル争奪格闘技世界最強トーナメント~』より、トーナメント準々決勝で初対戦したマイク・ベルナルド(南アフリカ)vsスタン・ザ・マン(オーストラリア)。
ベルナルドは3月の開幕戦で初来日。アンディ・フグにダウンを奪われるも逆転KOに成功し、番狂わせ勝利で一躍脚光を浴びる存在となった。
対するマンは8本の世界王座のベルトを引っ提げて1992年10月の『格闘技オリンピック』(K-1の前身となる大会)に初来日。1993年と1994年のK-1 GPには不参加で、今回が初のトーナメント出場となった。開幕戦ではパトリック・スミスをKOに仕留めている。まだバンナやベルナルドが台頭する前で、ピーター・アーツ、アーネスト・ホースト、モーリス・スミスと並んで“世界四強”の一人として数えられていた。
1Rからフットワークを駆使し、右ローと伸び上がるようにして打つフックを繰り出すマン。ヘビー級としては小柄なため、ベルナルドとの身長差は約20cmあるため、パンチはどうしても伸び上がるようにして打つことに。
序盤はマンのスピードに翻弄され、苦手とするローキックで足をくの字に曲げてしまうことが多かったベルナルドだが、2R終了直前、右ハイキックでマンを前のめりに倒す。これはスリップ判定となり、命拾いしたマン。
3R、左右に頭を振りながらパンチを出すマンが、左側に入っての左フックを出そうとした瞬間、ベルナルドの右足が弧を描いた。右ハイがカウンターで決まったのである。一撃でマンはマットに沈み、3R1分42秒、ベルナルドがKO勝ちで準決勝へ進出した。
ローを効かして優勢に試合を進めながらも逆転KOを許してしまったマンは、「試合をリードしていたのに3Rを持ちこたえられなくて残念です。ベルナルドはいいファイター、強い。自分はヘビー級にしては身体が小さいけれど、今まで勇敢に戦ってきたのは若い人たちのお手本になるような人間になりたかったから。もちろん、これからも頑張りたいと思っている」と、新世代の台頭を認めるようなコメントを残した。