リアネイキドチョークで僅か58秒の速攻勝利、KID初の一本勝ちだった
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。52回目は2004年4月7日に東京・国立代々木第一体育館にて開催された『K-1 WORLD MAX 2004』で、K-1MAXのリングで初めてのMMA戦に臨んだ山本“KID”徳郁(PUREBRED東京)。
KIDは2004年2月のK-1 WORLD MAXに初参戦し、日本代表決定トーナメント1回戦で優勝候補だった村浜武洋をKOで撃破。K-1ルール初挑戦で大きなインパクトを残したが、試合前から負傷していた右手第二中指を骨折。準決勝は棄権した。
後に「K-1の試合に出たのは、俺が活躍してK-1にMMAの大舞台を作ってもらうため」との理由を語ったKID。そのチャンスは早くも4月7日に開催されたK-1 WORLD MAXでやってきた。
右手の負傷はまだ完治していなかったKIDだが「左手一本でもMMAなら俺は勝てる」と、MMAルールなら試合をするとしたため、K-1 WORLD MAX史上初のMMAの試合が組まれたのである。しかも5月22日には『格闘技世界一決定戦 ROMANEX K-1 MMA Championship』(さいたまスーパーアリーナ)の旗揚げが決まっており、その前哨戦の意味も込められていた。
用意された対戦相手は、カンフーをベース持ち“カンフーマスター”のニックネームを持っていたトニー・バレント(アメリカ)。2003年11月のMAXで小比類巻貴之と対戦し、3RでKO負けするもブルース・リーのコスプレとアフロヘアーで強烈なインパクトを残した選手である。
BJ・ペンからの花束贈呈があり、試合開始。サウスポーのKIDは右へ大きく回り込んでいく。1周半したところで左回りに変えたKIDはすぐに片足タックル。バレントは蹴りを合わせようとしたが間に合わずテイクダウンされる。KIDはマウントポジションからバックマウントになって殴り、腕十字狙いからリアネイキドチョークを仕掛ける。一度解いてパンチを入れ、今度はきっちりとチョークを極めて一本勝ち。1Rわずか58秒の秒殺劇。