距離を詰め、常にパンチの射程距離内で勝負するのが魔裟斗流。リスクは高いが自然と打ち合う試合に持ち込める
1986年10月に創刊され、30年以上の歴史を誇る格闘技雑誌『ゴング格闘技』が、秘蔵写真と共に過去4月にあった歴史的な試合や様々な出来事を振り返る。48回目は2001年4月15日にアクアドームくまもとで開催された『K-1 BURNING~火の国熊本初上陸~』から、魔裟斗(シルバーウルフ)が行ったワンマッチ。
K-1 WORLD MAXが始まる約1年前、魔裟斗は『K-1 J-MAX』という名称で行われていた中量級の枠組みでK-1本戦に出場。オランダの実力者であるWMTA世界ムエタイ・ウェルター級王者パトリック・エリクソンと対戦した。
この前年2000年11月に後楽園ホールで開催された『K-1 J-MAX』単独興行で、大物ムラッド・サリを2R壮絶なKOで仕留め、一気にK-1ファンから注目を集めることになった魔裟斗。その後、タイでスリヤーに判定で敗れたが、自主興行『Wolf Revolution』では欧州の実力者モハメド・オワリを撃破。秋に予定されていたK-1中量級トーナメント(十幸は2002年2月に開催)へ向けて突っ走っていた。
魔裟斗は1Rから流れを引き寄せた。ローを蹴り合うと、ラウンド後半にはエリクソンのローが減っていく。2Rからはパンチ狙いの魔裟斗にエリクソンが前蹴りやテンカオを合わせたが、魔裟斗を止めるには至らない。
3R以降は魔裟斗が一方的にパンチをラッシュし、エリクソンはただ凌ぐだけに。得意の右ストレートもローを効かされているためか、ヒットはするものの形勢を逆転するだけのパワーはなかった。
魔裟斗のラッシュで場内は大きく沸き、その凄まじさにインターバル中も場内のざわつきは納まらない。魔裟斗は、そのアグレッシブさでK-1初上陸となった熊本の観客も引き込むことに成功していた。
ところが38勝(15KO)8敗2分と、魔裟斗の18勝(10KO)2敗1分の倍以上のキャリアを持つエリクソンは倒れなかった。魔裟斗は4Rも左右のローを蹴り込み、右ハイをヒットさせ、さらにパンチで畳みかけるも、どうしても決定打が出ない。
最終5R、魔裟斗はエリクソンの組みヒザにきっちりとヒザを返す以外、ほぼ3分間打ちっぱなし。魔裟斗のローを無数に浴びてエリクソンの足が硬直し、倒れる場面があるもノーカウント。後は、試合終了のゴングが鳴るまで魔裟斗が猛攻を浴びせて試合が終わった。
チャクリキ中量級の雄を圧倒し、判定3-0で勝利を収めた魔裟斗だがその表情は冴えなかった。
「倒せなかったのがダメ。今日は大きいことは言いません。リキみすぎて。もっとスピードでいけばよかったです。(中量級トーナメントへ向けて)今日は練習だったので、練習で倒せないようではダメです」と反省しきりの魔裟斗。「次は倒せるように頑張ります。今後はとにかくメジャーになることが目標。知名度は歓声で分かりますね。昨日、熊本を一人で歩いたんですが歩けるようではダメ。ピーター・アーツなら歩けないでしょう」と、まだまだ自分はマイナーな存在だと話した。